ヨドバシアキバと光文堂でこんな画材・文房具を買いました。2020/08/22
今日、秋葉原と日本橋に行ったのは情報収集だけのはずだったのだけれど、9時半に秋葉原に着いて、丁度ヨドバシアキバが開店したので、涼みに入ったら、文房具売り場というものがあるのを知って行って見た。そしたら、今水彩画を描いている時、どうしても必要な、MONOの超極細消しゴムが売っていたので、まず手に取った。これで水彩画の鉛筆を不必要な描線が細かく消せる、と喜んだ。バイクのタイヤを描くのに鉛筆がホールド出来るコンパスを探したが、見つからなかったので、春日部の光文堂で、これも鉛筆コンパスも随分進化してて、シャープ芯で円が描けるコンパスが720円で売っていたので、買った。あとヨドバシアキバの製図用品のコーナーで、「ステッドラーのシャープペンで鉛筆書きしたいよな」と絵を描いている時つくづく思っていた、ステッドラーのシャープペンが売っていたので、0.3ミリのシャープペンを買い、合わせて0.3ミリのHBのシャープ芯を買った。家に戻って、描きかけの水彩画の上に置いて写真を撮ると、また来週の休日が楽しくなる。今回、秋葉原と日本橋に行ったのは正解だった、と言う事だ。2020/08/22
モモ・ハルカのクリエイティブエッセンスっっ!!Vol.002春日部で最適な transportation って?? 2020/07/11
あーつかれた。発想から2ヶ月掛かって一枚仕上げました。
まぁ上記の漫画の様に、原付自転車と普通自動車では、年間27万円くらい違ってくるのです。春日部の交通事情で言うなら、市内を移動する分には、原付スクーターで十分です。私の住んでいる所から、ちょっとゆりのき通りだ、旧国道4号だ、新国道4号だ、広域農道だ、とやると、もう車で渋滞してて、最近迂回路を原付でちゃっちゃと回って、自動車より速く目的のショッピングセンターに行って帰ってきてたりします。原付だと、農道でも平気。というかその方が気分良く短時間で移動できる。維持費でも、一人乗りで移動するのに、年間30万円も払って居られないし、ガソリン代ももったいないし、もたくた自動車はかさばって機動性ないし、自動車に乗る意味が私にはないです。例えば、じゃあ荷物が積めないじゃない?とかっていう場合は、例えばニトリ岩槻店でモノを見たら家に帰ってネットストアで買えばいい、とか、アタマでぱっと切り換えると、わざわざ車に乗っけて家に帰る意味がドンドン無くなります。輸送車にまかせればそれでオッケーです。と、言う訳で、密を避ける通勤にもお勧めのバイクライフを推奨します。二輪・軽二輪・原付二種は売れているし、二輪免許を取得する人増加傾向にあるそうじゃないですか。1980年代のあのバイクブームがまたやってくるのです。カワサキから250ccの直列4気筒のZX25Rニンジャも発売されますし、ヤマハも黙って居ないで、FZRX 250フェーザーとか言って2万回転の250cc直列4気筒を出したら、嬉しい時代になります。(^_^)2020/07/11
ハードGペンのペン先とニッカーのCOMIC耐水性INKを買いました。2020/06/15
やっと購入する気になった。欲しい物リストに入れて、2ヶ月は経っている。
仕事机を新調するので、どうせならデスクライトも製品寿命が来ているようだし、LEDの絵を描くのに最高なのでは?と言うLEDデスクライトを買うついでに、あわせ買いで耐水性インクとハードGペンもAmazonで購入しました。このWEBのイラストを描きながら、どうもフラストレーションが溜まるのは、しっくり来るブラックのボールペンや万年筆ペンとかフリクションとかが無い、と言うか、使ってて一番最高だったのが、Juiceと言う水性ボールペンだったのだけれど、水彩紙をヴィフアールの細目に変えたら、今度は紙とペンが相性があんまり良くないのである。思ったようにインクが伸びていかず、一筆で自分のイメージ通りの線が表記されにくいので、考えて居た。最終手段として、Gペンとインクに戻る事にしている。でもGペンで思い通りの筆致を積み上げていくのは相当修練がいるのも解っている。昨日、プロモーションに、昔の「プラモのモモちゃん模型日記」と「PC講座」の一太郎まとめファイルを見ると、「中学生レベルだな」と思った。そして、「向上するしかないな」と思ったし、だから、今回、自分の描線を思い通りに描かせてくれそうなコンビをAmazonで購入した、と言う次第だった。今2020/06/15の21:15だから、これから読書記録を2冊書いたら、エアコンの効いた部屋で、水張りした水彩紙に、下書きを進めていきたいと思う。煮つまったら寝る。このコンビの出番は、だから下書きでいい線まで高められたら、取り組む、と言う事である。Gペンでインクである。そして、モノクロ製版に通すわけでは無い、デジタルファイルのイラスト画像に対するペン入れである。書き損じたら、デジタルで修正しなくてはいけないが、一発でスキャニングまで持っていきたいといつも思っている。修行の過程も水彩画と言う事で公開していくけれども、今まで、本気でアニメ絵を修練してこなかった。油絵で女性の肖像画が最高レベルまで達したので、それ以上を考えられなくて10数年経って、もっと手元を良く修練しよう、と言う事になっている。頑張って、みずみずしいアニメ絵系の女性キャラを描きたいモノである。このコンビを見て心を新たにするのであった。2020/06/15
庭にブルーではなく、イエローのアイリスが三輪咲きました。雨の中、咲いているのをみたら、非常に雨で濡れて嬉しいって感じで咲いてました。2020/05/09
モモ・ハルカのクリエイティブエッセンスっっ!!Vol.001 それは2020年X月の話 「翔んで東京」の世界がすぐそこに…2020/04/04
構想から1週間で描きました。旬なネタですが、これ描いているうちに、ほんとにロックダウンが急遽行われないか、焦りながら描きました。次回は、株式相場が吹っ飛んだ場合を描こうか、悩んでいます。東京から思い切りバブルの金がはじけて消えた場合、東京都民は米をどう入手するのか。戦後の食糧配給制や、闇市、買い出し列車の風景を2020年に再現されたら、どうなるか、というのは描いてみたい。私の父親も母親も、昭和一桁、昭和5年・6年の生まれで、母親は、おしんの様に大根メシを食べながら育ち、新潟の軍需工場で働き、と。父親は群馬県の山奥で育ち、養子先から実家に汽車に乗って帰り、という戦後、昭和20年代の話をしっかり聞いておりますから、昭和20年代、敗戦の後、「人はいかにして米のメシを食って生きていけるか?」という2020年からのコールバックがあるかどうかは、描いてみたいと思います。2020/04/04
先日、取材で関東鉄道の水海道駅の写真を撮っていたら、新しい鉄道むすめ、「寺原ゆめみ」ちゃんに出会ったよ。2020/03/28
寺原ゆめみちゃん。関東鉄道は、下館から守谷まで一気に乗ると、ゲッと思うほど運賃高いけど、味がある、気動車の旅になりますなぁ。
水海道に、小説の取材とか味噌を買うとか用事で出かけて、水海道駅の改札の写真を撮っていたら、かわいい女の子の印刷物が大量に置いてあったので、手に取って見ると、鉄道むすめの寺原ゆめみちゃんの載った新しい時刻表だったと言う事でした。東武鉄道だと姫宮ななとか栗橋みなみとか春日部しあとか有名(?)、有名って鉄ちゃんと東武鉄道ユーザーくらいなもんだけど、そういうかわいい女の子キャラが東武鉄道の場合充実している。春日部しあは、まだ人気出てないけど、姫宮ななは、もう東武鉄道に乗ると、中吊りとか色々印刷物・広告看板で出ているので馴染んでいるけど、多分姫宮ななが一番顔が売れている。南栗橋とかに行くと栗橋みなみが有名なのかも知れない。南栗橋は乗り換えに一回降りたことがあるかなぁと言う位馴染みの無い謎の駅だけれど、東武スカイツリーラインだと終着駅の一つである。話を関東鉄道に戻すと「ああ、そういや関東鉄道はまだむすめちゃんまだだったけかなぁ」と思った。関東鉄道もまだ全駅制覇していない。訪問したい場所が一杯あるけど、スケジュールの余裕が無い。NAVITAIMEのマップで見て思いを馳せて居るしか無い。このコロナウイルスの騒ぎで、働けど働けど余裕がドンドン出てこなと言う状況に陥り、これは4月一杯までの我慢として、5月から改善策を行う感じだ。もっと鉄道むすめたちと戯れたいモノだよ。2020/03/28
うーん、創作しようとしたら東京の丸の内の米国企業から電話が掛かってきたので、本質や善導を言葉で話したので、創作出来ないほど言葉が沸くので、WEBに書き記す。関東平野では非常に重要な事です。2020/03/27
2020/03/27。明日は雨の予報で、日曜日からは記録に残る大雪かもと言う事なので、仕事しながら楽しみにしていた創作のアプローチが出来なくなった。今日は電車に乗って出かける計画で実は楽しみだったのだ。でも、明日雨だと計画が狂うし、折角の桜も散ってしまってしかも日曜は大雪だとすると、日曜日は電車通勤で、朝の5時50分の電車と30分の徒歩で倉庫に行かなければならない。このコロナウイルスのおかげですっかりいつもの日常の勤務では無くなり、1時間早出の7時~17時の仕事になってしまった。バイク通勤で20分でいける倉庫なんだけど、朝の精神的ゆとりを持たせた生活をしたいが為に朝の4時に起きて、ゆっくりメシを食って、レギュラーコーヒーを淹れてゆっくり一服して出て行く生活習慣になっている。8時~17時だと、慣れてて丁度いいのだけれど、7時出勤だと週5日は「仕事してるかメシ食うか寝るか」だけになるので、仕事から帰ってちょっと机に向かう時間が無くなるのがマイナスである。週給は5500円増えるけれども、精神的にはマイナスで、公の為の奉仕と思って、中期的には損に捉えるけど、しょうがないと思って7時出勤の要請に応えている。仕事がバカバカ増えるのでしょうがないのだ。コロナウイルスはここには影響は少ないかなぁと思ってたけど、思い切り矢面に立つのは、ミンナ外食を控えて家で購入した食料品を調理して、自宅で食べる割合が飛躍的に増えてしまったからだろう。先週、旧庄和町のココスに行ったのだけれど、11時半に行ったら、店の中に人の気配が全く感じられないので、潰れたのかと思うほど外食産業から客が飛んでいる様だ。そして今日、計画変更で一週間の食料品を買いに、最近開拓したスーパーやディスカウントストアやホームセンターに行って、缶コーヒーなら30缶のケースを買い、麦茶なら24本のケースを買い、スーパーなら一週間の弁当のおかずや晩飯のおかずを買っておくことにした。こうすると毎日帰りにスーパーに寄る時間と食費が節約できるのである。時間が浮いて、良かったと思っている。で、一通り買い物を済ませたら、家の雨戸を閉めて引きこもりモードで溜まっている創作物をやっていこうと思ったら電話が鳴る。03で始まる、何回も着信履歴を残している番号なので電話に出た。過去にどこかで聞いたような会社の営業の人の電話営業だった。電話で話したら、電話でもメールでもなんなんで面談で、と言う事なんだったけど、ある程度話を聞いて、今の自分の事業の趨勢ではコミット出来そうにないので、3ヶ月後にまた面談で、と言う事にしてもらったけど、その電話の内容で、これはWEBで広範囲に同じ事を伝えた方が、日本の世の中の為だろう、と言う事で、今回しょうがないからテキストにして、世間一般に伝える事にしたのであった。
その人には「え?東京に通っているですか?」と尋ねたら、「家自宅でテレワークになってます」という事で、自宅で電話とネット回線で営業、と言う事になっているようだ。その時だから、私はリードエクシビジョンの○○EXPOでIT企業とか東京に本社を置いてある企業には言おう言おうと思っていたことを初めて言った。「いや、2年くらい前から東京に本社置いている企業って、例えば群馬県高崎市とか前橋市、栃木県なら宇都宮市とか茨城県なら水戸市とか日立市とかに本社移転した方がいいですよ。ああいう東京から見れば市場の無いように見える所に会社も社員も身を置いて、0市場の開拓しか無い、と言う危機感を持って商品開発に努めれば、飛躍した発想で、21世紀の製品が開発できますよ。そうしなさい」と言った。こう言えるのは、私が春日部の印刷屋に1995年に身を寄せて、そこには当時100万円超える数台のMacintoshとイメージセッターとフラットベットスキャナーとISDN回線しかなく、全ては社長のおもちゃとして存在していて、利益を生む設備では無く、春日部では「MacintoshDTP?聞いたことあるけど見たことない」という三流のデザイン屋とか地方の広告代理店がある様な世界で、市場0の世界で市場を0から創り出した経験から言える事だった。1995年、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件とWindows95が発売された年で、東京は化学兵器テロの陰で怯えている世界だった。そこからのDTPオペレーター・デザイナー・アーティストとしての出発だった。タダでMacintoshDTPを教え、Macintoshのエヴァンジェリストとして充実した四年間を過ごした。Appleが頭打ちになり、私も紙媒体からネット媒体、そしてIT世界へと行きたくて、惰性で印刷屋に居たけれど、社長に次を探してくれと言われたので、さっさと辞めて、次ぎに行った。あとは話が長くなるので割愛。で今2020年で、世界と関東平野はコロナウイルス禍である。この世界になると、東京と言うのが意味を成さなくなった様に春日部から情報を得るとそう思える。去年、建設現場の清掃の仕事で東京を45カ所程度巡って、東京はどこへ行ってもコンクリだらけ、金は狂ったように舞っているけど、こんな狂った世界がそうそう長く続くはずが無い」と直観していた。9月に、命からがらに感じるように東京を逃げ出して、春日部から、緑の多い世界で仕事を探した。緑が生い茂っている光景を見ると安心するのである。その位東京は狂っていると感じて居た。前にも匿名掲示板か、この旧サイトで言ったけれども、「今の東京って自殺する前に、返せない多大な借金をしてこさえた金でキャバクラで豪遊している、終わっている青年やオヤジ」という印象だった。で、2020年3月になって都市封鎖の可能性が高まり、株価はリーマン級を遙かに超え、世界恐慌クラスでは、と言う感じになっている。東京の、狂ったように流れていた大量の金の元に東京の建てかえラッシュで出来た綺麗なコンクリの建屋は、テナントも人も入らないという物件が多く発生し、街には失業者が溢れ、金が無いのだから、日本人なら生きて行くための米が買えず、入ってこず、と言う事になるんかいね、と思っている。51年前から春日部の水田や、小学生の頃には蛍の居た水田や畏敬の念を覚える林が多くあった時代に幼少期を過ごした身なので、その子供の頃の記憶と東京の今のどこへ行ってもコンクリートで自然の力の入る余地のない西洋的都市で生活することも仕事をすることも終生ないだろうと思っている。その電話の相手には、「いえ、このコロナウイルスはどうも終息する様なので、生物兵器として遺伝子加工されたモノでは無いようですので、自然の力で、やがて自然の力が強い土地や世界では終息が早いと思います。東京とか、ニューヨークとかヨーロッパみたいに自然を排除して、石やコンクリ作りの建物ばかりのいわゆる都市では、コロナウイルスは、なかなか終息しないでしょう。多分5月から6月には終息地域が多くなるでしょうが、東京都民や東京に通っている埼玉都民は長く感染の恐怖に怯える事になるのではないでしょうか」と伝えた。トランプも習近平もこういった形で自分の覇権・時代が終わるとは0.001パーセントも想像していなかったろうなぁ、と思った。私も「いつか東京は滅びて廃墟になる」と直観はしていたけど、具体的にこういう形で東京と言う20世紀の繁栄の残りの過去のイメージの幻想都市の1000年帝都の幻想があっさり崩壊するとは細かくは予想しなかったけど。倉庫でも方々で言ってたんだ。「東京の連中狂っているからな。1000年繁栄が続く、と思って東京建てかえている。その内滅びて廃墟になるよ」ってね。青い空の向こうに人知を凝らして、世界中がらかすめとった金で、届くような超高層ビルを建てたとしても青い空の向こうはあっさり無効化してしまった.バベルの塔とか、バビロニアの終わりの物語を2020年に見ることになった。今、バベルの塔のwikiを読んだけれど、天に届こうと、1000年の繁栄を夢見て、街を作ろうと、天はあっさり浅はかな人間の所業を無効化してしまった、と言う事だ。2500年に一度見られる光景なのだから、これは大変に生まれて、育って生きながらえたモノだ、とこうテキスト書きながら、思っている。私は自分勤めを時給1100円で行うのみだ。それ以上の事はしない。ただ、人生経験や多大な艱難辛苦を越えてきたので、器質的洞察力や経験による見識は多分日本でトップクラスの人間になったのだろう。なぜ理解されないか、と言うと、東京に暮らしているのが人間として当たり前、コンクリ作りのマンションに住むのが幸せとマインドコントロールされてしまった、可哀想な日本人が多い中に生きていたから、理解されなくて孤独で、ちょっと不幸に感じて居た、と言う事なのだろう。まだまだ理解してくれない人が多い人に出会う事が多いけど、それも改善していくだろう。まだ言い足りないけど、言葉にしても解らない人がまだまだ圧倒的に多い地域に生きているから、あんまりこれ以上言葉にしない。2021年まで黙って居ようと思ったけれど、なんか、2020年の3月にしょうがないから言うかと言う事にしたのは、だから上記の様に尋ねられたから。もし何か意見を欲しがったらお問い合わせの投稿フォームから所属企業と実名を明らかにして、尋ねて下さいね。真摯に答えます。日本人を救う為だから。人を救うという事は自分を救う事であるから、私もまだまだ救われたいものなので。タバコで一服している間にもうちょっと追加して書くと、「あなたね、体重90キロもあって、血液中の脂質がこんなにありますよ。糖尿病になる可能性ありますから、標準体重まで落として下さい」と医者に言われて、「はい、そうですか」と翌日、体重が70キロまで落ちるわけ無いです。言葉で言うってそういう事です。言葉で言われたからって、人間の性根とか曲がった心がすぐにまっすぐになるわけ無いです。それなりの汗と労苦を長い間伴わないと体重は標準体重まで戻りません。このウイルスは生物兵器に加工される前の自然由来の眠っていたウイルスなのだろうから、自然の力で終息に向かいますが、自然由来という事はこれは天の意、神の作為、諸天善神の作用なのですから、心身とか御霊・身魂の洗濯に努めて、日本人としての生きて行く正道とは何か、人間は何を食べて生きて行くのかを、考えたり直感したり、発見したり啓発されたりして、21世紀の人間になりましょう、と、感染の恐れに怯えている都市生活者には言いたいものです。それでは。2020/03/27
なんとなく昔からの机の棚を見てたら1995年頃に描いた、「この世のモノでは無い」絵画へのアプローチ的素描を発見したので、見てみて。2020/03/10
1995年の実に25年前の忘却の彼方にあった、兵庫県神戸市と西脇市と周辺で受けた天啓を表現した連作。今描くとほぼ別物か、同軸で表現出来ると思う。
朝、仕事に行く前になんとなく机の冊子を取り出して見てたら、この絵画を描いたドローイングブックが出て来た。中を見てみるとすっかり忘れていた、太陽と月をテーマにした、巫女さんの女性を描いた5枚が出て来た。何かに導かれるようにして、阪神淡路大震災の焼け跡に立ち、電柱の貼り紙を見て、何でも屋の零細企業の手配で、山奥の隔絶した街である西脇市に3ヶ月逗留することになり、そこでドカタ人足の手伝いという職を手にして、車で兵庫県の山奥を自動車で色々見て回った。神戸市で、北海道から来たという怪しい人足に「日月神示」という言葉を教えてもらって、書籍を一冊読んだ事も影響している。表現を見ていると、鮮烈に「何か」を表そうとしている事が見て取れる。ここから2001年までの「神がかった」表現が生まれていったのは事実でした。2020年のこの時節に1995年のこの絵画を再発見することは何か意義があると思うけど、それは言葉では言えないので、また絵画で表現していくことになるだろう。今日も仕事はコロナウイルスのせいで早帰りだった。余った時間は創作したかったけど、その前に整理しなければならない事が一杯あって、今日表現するのは上記の画像を上げてコメントするくらいだ。明日も一応仕事だけど、3月一杯までどうなるか解らないし、4月になっても、あんまり変化は無いのかも知れない。もう天災(人災でもあるけれど)の中で生きて行かなければならないのは、阪神淡路大震災や東日本大震災を通過してきたのだから、それでもしっかり生きて行かないと、と思う為にこの絵画を再発見したのかさせてもらったのか。この絵を見て深層意識で何か閃くような人は天才になれると思う。理解者は全く居ないと覚悟して生きて行く気があれば、天才を生きて行けばいいと思う。2020/03/10
机の上の道具の整理、断捨離してたら、Gペンのペン先とペン軸2本や、忘却の彼方だった線画用のペンが一杯出て来たのでご紹介。2020/03/07
上からゼブラのGペンのペン先、開明まんが墨汁、スワンスタビロのペン軸2本、コピックマルチライナー太さ二種、ピグマ太さ二種、デリーターのNEOPIKOと試行錯誤の歴史。
2020/03/07、透明水彩とか、今日amazonでステッドラーの水彩色鉛筆60色セットとか、線画の彩色もコピックよりもやっぱり透明水彩・水彩色鉛筆という事で机の上のペン立てを整理して、絵を描く準備をしていた。ペン立てって言っても、ニトリ岩槻店で買ったテレビリモコン立てなんだけど、木製でナチュラルな感じが良かったのでペン立てにしてしばらく使っていたけど、なんか不要なもらい物の多色ボールペンとか、昔バリバリに使いたかったカランダッシュの色鉛筆とか今は全く使わないので、ペン立てから撤去して、コピックの最近揃えた色味のモノは全て入れて整理してた。そうすると忘却の彼方のGペンのペン先やペン軸やコピックマルチライナーとかピグマとか、デリーターのNEOPIKOとか出て来たので、写真で紹介しました。ただ紹介するだけじゃどんなもんか解らないだろうから、船渡川遙をGペンとまんが墨汁で描き、ヒイラギモモをコピックマルチライナーの0.05mmで描いて参考にしてください。やっぱり、Gペンのシャープで強弱のつけられる描線には、ピグマ系のペンって敵わないな、と描いて思う。でもGペンは東京の漫画家や、東京のビッグサイトに集まる同人漫画家の常用度には敵わない。空いた時間全てマンガ描写に時間費やしている暇はない、と言う事はGペンを習熟して高橋留美子や京都アニメーションみたいに描けるのは、いつの日か知らないし、そこまでGペンで描写したとしても、私の表現プラットフォームは漫画なんかは電子書籍なんで、いいです、と言う事になる。考えてご覧なさい。今の墨や黒インクで描く白黒二階調のマンガって、その歴史で言うと活版印刷に対しての、版下作成技術の一部に過ぎないのだから、印刷産業・印刷技術の歴史で言うなら、田川水泡とか、そのちょっと前くらいの明治後期くらいから大して変わっていないのが、ペンと墨、デジタルを使ったとしても、出力先は活版印刷とか、カラーレーザープリンターとかオンデマンド機でもモノクロ2階調なんて、デザインと印刷とITやった人間にしてみれば、「もう、いい加減にしようぜ」とさっき変質した開明まんが墨汁とGペンで船渡川遙描いて見て解った事だ。電子書籍が出力先なら、全編フルカラーで、描写も鉛筆書きのキャラクターに透明水彩で描いて、吹き出しのセリフだけClipStudioでフォント使って、活字とか写真植字っぽくしたとしても、21世紀はそうだ、と埼玉県で思う。東京都は違う。だから私は、昔の名残で描線は墨・黒インク・セピアで描く比率が今だに高いけれど、描写を鍛錬していったら、水彩紙に鉛筆で輪郭線を描き、彩色は透明水彩や水彩色鉛筆でイラストや、そう、マンガもストーリーマンガを描いて、電子書籍で配布する、と言う事になるだろう。宮崎駿はアニメージュの「風の谷のナウシカ」や、ModelGraphicsの2ページの鉛筆+透明水彩のコラム連載の「宮崎駿の雑想ノート」(紅の豚の下地になった連載と高価な紙本)位が思い付く。かなり来ていたのは、双葉社の「この世界の片隅に」の単行本は、紙で健闘したマンガではあったけれど。私は電子書籍でマンガを描ける時間があるなら、「思川鉄道物語」をマンガ化したいけどね。「思川鉄道物語」は元々ストーリーマンガのストーリーとして着想したお話だったけど、マンガを描く時間が無いから小説にして、カクヨムに上げたって話でさ。「思川鉄道物語」と「印象、トーキョーサクラトラム」ともう一作を八高線を舞台に1本書いて、一冊のPDFとEPUBにして、このページで無料配布でいいんじゃないかなぁと思っている。三部作の第三部はいつになるか知らない。忙しくて、小説を書く行為は随分後退するからね。まぁ今、はっちゃきに小説書かなくていいと思う。毎日、倉庫で忙しいからね。待っていれば、その内、時節や時期やタイミングがやってくると思うんで、それまではかなり忘れて日々の生活をしていくだけだ。週5日。2020/03/07
棚を整理してたら、昔のメモ帳が出て来て、なぜBlueirisはBlueirisなのか、とかなぜ「Blueiris消息」だったのか、とか語ります。2020/03/07
これ、多分吉川市で日雇い派遣の奴隷労役やってたころだから、2005年頃のメモ。
2020/03/07、つれづれなるままに、机周り整理してたら、昔1996年頃から使ってた、パソコンデスクの下から懐かしいメモ帳が出て来た。眺めて見ると、自分が気に入った音楽の中のポップミュージックやフォークソングや歌謡曲の曲名と歌手名がリストアップされているメモで、「ああ、そういやこうやって好きな曲のメモしていたなぁ、懐かしいな」と思った。で、今Youtubeで光回線で聞き直していたりする。懐かしいし、忘れてる楽曲もあって、整理するといいことあるよね。もっとその楽曲のリストの前には上記の様に、Iris hollandiaの埼玉県吉川市の旭地区センターの図書室で、この記述のある本を読んで、メモったんだと記憶している。2005年当時、倉庫にSさんと言う、背の高い若いけど(当時19歳)主婦とか人妻の雰囲気が出ている女性がやってきて、その人を見たら昔懐かしい女性を思い出し、って雰囲気が似ていたので、それでインスピレーションを受けて、図書室で花の図鑑を探して見て、メモったのがIris hollandiaと言う花の名前と図形であったと言う事で、花言葉は「消息」と「あなたを大切にします」だったので、「これだ」と思い、これを元に個人事業を「桜花意匠」から「Blueiris」に変更した、と言う経緯だったんだよな。もっとも、この当時は2002年に受けた統合失調症化攻撃の影響が抜けていなくて、個人事業主として確定申告なんて思いもつかなかった時期だった。とりあえず、家のネット回線はどうだったろう、Willcomのリアルインターネット回線で64kでネット接続して、Yahooブログやってたんじゃないだろうか、あるいはここからYahooブログ始めたのかな、「Blueiri 消息」というタイトルで、ブログに日々の日記書いてたけど、匿名掲示板のネットストーカー2名の攻撃で日記パートは削除せざるを得ず、全文バックアップとってないので、この頃の記録は脳内におぼろげにあるくらいだ。全部記憶してても意味ないけどね。右端の名刺のアイデアメモも、これ描いている時はまだ手書きのデザイナーの感覚が残っているから、丁寧に、文字要素をレイアウトして、デザインをラフに規定している。この頃の中島英樹(Blueiris)の肩書きは「情報デザイナー(InformationDesigner)」と「油彩画家(OilPainter)」である。2020年3月の肩書きは「経営者・小説家・画家・デザイナー・IT情報デザインコンサルタント・店舗運営コンサルタント」である。15年間でそれだ学び続けた。上記の画像はだから2005年から15年の一区切りである。15年でここまでの境地にやっと戻った。2001年に立ち帰るには、まだまだだけど。そんな事を想いつつ、この懐かしい記述を電子的記録にしてみた。この頃はまだ文字をキッチリ一文字一文字書いている。文字に対して、その位気をつけているのは、デザイナー職を経験したからかな。今、フリクションのボールペンを多用しているから、書き間違いとかにルーズだけど、この当時は、SARASAのブルーブラックの水性顔料ボールペンか鉛筆しか選択肢ない記述形式だったから、書き間違いの無いようにキッチリ書いている。15年経って色々デバイスは増えたけど、この頃の「一文字、一文字間違わないようにキッチリ書いていく」書きクセは取り戻した方がいいな、とメモ帳を見て思う。2020/03/07
岩槻人形博物館と船渡川遙フィギュア化計画。時間があったら船渡川遙としてレスフィーナのフィギュア、作りたいですねぇ、と。2020/02/29
2020/03/07 記事のポストが遅れたけど2/29に用事があって、岩槻駅前までバイクで走っていて、「そういやこの先には完成したようだけど、OPENしていない、岩槻人形博物館があっったな、開館したのだろうか」と思った。バイクで走り進むと、やっぱりOPENしていた。しかも、記憶の中に無い、もう一棟の建屋も出来ていた。急ぐ旅でも無かったので、寄って見た。まず、本館では無く、脇の別棟に入ってみたら、休憩所とヨロ研カフェって、なんだか東京のよくあるオシャレなカフェが出来ていて、中に入って見ると、それなりに凝ったメニューのカフェと、売り物はさいたま市でヨーロッパ野菜の栽培農家を増やして、ヨーロッパ野菜を素材にした料理や飲み物や、野菜を売っている、と言うコンセプトのカフェであった。チラシを四枚ほどもらって、一枚は旧知の女性に送った。もう一枚も旧知の女性に渡した。飲食はしなかったし、貼り紙でコロナウイルスの影響で2週間ほど閉鎖すると言う事で、ここでももうコロナウイルスの影響は出ていた。別棟は大体把握したので、本館に入って、ここで気が付いたので、手持ちのビジネスバックにいつも予備として持っている使い捨てマスクを身につけた。壮年の女性が多く入場券を求めて並んでいた。「障害者手帳持ちだと何かメリットありますか?」と職員の女性に聞くと、「半額になります」と言われた。ここで、この岩槻人形博物館というのは、さいたま市岩槻区が直接運営しているのではない事業体であると察した。公立の施設だと障害者手帳持ちの場合まず無料である。私(わたくし)立で無料な、意識の高い美術館もあったりする。損保ジャパン日本興亜美術館が、障害者手帳持ちは無料なのを忘れていない。つまり、この岩槻人形博物館はさいたま市の委託の民間経営なんだろうなぁと思う。、それは今回の場合どうでもいいけど、150円で入場して、良かったな、と思う事は2点ある。一つは人形の制作過程をそのまま制作途中の躯体を全て順序通りに並べて展示していて、その頭部の制作過程を見ていて、かなり深い意識の中で、「あ、これフィギュアじゃないか。当たり前だが、これはフィギュア製作に生きる展示だ」と深く感銘を受けた。この展示を見て、「忘れていた船渡川遙(レスフィーナ)のフィギュア製作の志を捨てる訳にはいかない」なんて思って、次ぎの部屋に行った。部屋は三つくらいあって、江戸時代から、明治・大正くらいまでの、名前の無い、職人の制作に拠る人形がたくさん並んでいた。多分写真撮影は禁止というのがどこの美術館・博物館でも鉄則だと思ったんだけど、おっさんがデジタル一眼レフで、バシバシ展示を撮っていて、職員の女性に何か言われているのを横目で見ながら、人形の物体及び芸術作品としてのエッセンスを吸収していった。ここで思う事は、私の母親の中島英が、まだ結婚前で髙﨑英だった頃、神奈川県鶴見区の真田病院の手伝いをしながら、東京美術学校(現東京藝術大学)の教授もやった、職人上がりの人間国宝の彫刻家の平櫛田中と交流していて、熱海の別荘にも、真田病院の賄いさんたちと、泊まりに行って温泉に入ったとか、そういう中島英に口伝えに聞いている事実や、高校生の時、浦和の埼玉県立近代美術館で、埼玉県立庄和高校美術部の顧問や仲間と一緒に図書室の資料でまず見た鏡獅子の写真や、平櫛田中美術館で見た鏡獅子のモックアップなどを思い出し、「エッセンスは共通してて、同じモノだ。別に田中さんが特別にエライ訳ではないな、こんなにも職人達の仕事が一杯あるものなのか」と思った、wikiで見ても、大坂の人形師に弟子入りして、人形作りの修行から彫刻カテゴリに進んで、東京藝術大学の教授や、人間国宝であって、そんな肩書きは無くても、良い仕事はこうして岩槻の職人達の仕事の結果として残っている、と2番目の感銘を受けて、博物館を後にして、用事を済ませて、家の本棚にしまってあった、「フュギュアの達人」というムック本を掘り出して、上記の船渡川遙(レスフィーナ)を設計図として描いたりしてみた。もちろん落ち着いてフィギュア製作に取り組む時間は当分取れそうに無いけれど、志操の方向性は、確固として、揺らいだらまた岩槻人形博物館を訪ねて、やる気のリフレッシュを行っていきたいと、2020/03/07も思っていたりする。他にも色々やることあるけど、焦って前のめりに進む事はしなくても、じっくりたたずんでいると、時期や時節や機運が向こうからやってくると確信している。2020/03/07
上からコピックドローイングペンセピア、ブラック0.1mm、0.2mm、ジュース0.38mm、0.5mm,0.7mm、コピックYG93グレイッシュイエロー
2020/02/29。以前から透明水彩でイラストレーションを描くのに最適な、耐水性のペンを探していた。春日部市の文房具屋では、コピックマルチライナーとか近所のホーマックでは、耐水性の顔料系のボールペンでどうにかならないか、と、色々購入して試行錯誤していた。ホーマックで手に入れられるブラックの耐水性のボールペンでは、PilotnのJuiceシリーズが最適かな、と言う実感だった。Juiceだと、かなりGペンの感覚に成れる、と思っていて、今後、コンスタントに透明水彩の、女の子のイラストを創作していくつもりなんだけど、鉛筆で下書きして、Juiceでペン入れして、線画が完成したら、透明水彩で色彩を着彩していく、と言うHow to Workのつもりであった。今も50パーセント、そのつもりだ。ところが、先日、メモ帳を買いに、文房具屋へ行ってなんとなく気が向いてコピックやコピックマルチライナーのラインナップを確認しに棚に行ったら、COPIC DRAWING PENと言う新製品が置いてあった。看板には0.1mmと0.2mmがある、と言う事で、最初、ペン先の太さで軸の色が違うのか、と両方を購入して、家に帰ってネットで製品の仕様を確認したら、セピア色で2種類の太さ、ブラックで2種類の太さがあると知った。試しに両方で、クロッキー帳にヒイラギモモや船渡川遙を描くと、Gペンと言うより、スプーンペンとかスクールペン、丸ペンの感覚に近づく線画が描けると理解した。耐水性で、コピックにも耐えられ、コピックで彩色してもにじまない。今日、ブラックだけ、0.2mmを買い足した。これで、ケント紙に漫画的にイラストを描くには、ほぼ理想型のデバイスを手に入れたことになる。Gペンはシャープに描けるけれども、したたり落ちたり、力の入れ具合での描線にかなりの習熟と鍛錬が必要なのだけれど、このコピックドローイングペンは万年筆と同じペン先の、インク使い捨てのペンであった。ブラックは、そのブラックがなんというか、バーントシェンナ混ぜてるのかな、と思う様な、ピリッとしないブラックなのだけれど、乾くとまぁブラックだな、と思う。書いてる時は墨とは違う、と覚悟しながら、今日もヘッダ画像のイラストを一枚仕上げた。一番下のコピックのグレイッシュイエローは、「ブルーばかりでは手詰まり感あるし、グリーン系も手を出してみるか」で購入した。ヒイラギモモのリネンインクルードのシャツはこの色と思って下さいね。と、ここまで書いて、もう一枚、バイクプラモについて感想を述べるヒイラギモモと船渡川遙を描いて、寝たいと思う。明日は7時始業だから、朝の4時に起きて朝メシ食べて出かけなければならないのだ。世間はコロナウイルスでどこも人は少ないし、高校生がグループで映画を見たりしに来ているけれど、高校生は、家で小説読んだり、絵を描いたり、マンガ描いたりして、創作すれば?と思うのだけれど。夏くらいにはワクチンが出来てるだろう、なんとなくそう思う。2020/02/29
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