2025年2月15日土曜日

Tale of Water Color (物語を込めた水溶性絵の具による絵画)

 倉庫で働いて居て、ふっと、「あ、水海道4部作どうしようか」と思ったら、上記の様に平光報子と箕輪和子が浮かんだので絵にした。背景まで本当は描き込みたかったんだけど、時間が許されないので、と言うか、5月はドンドン絵を描く時間を増やすけれども、今日はとりあえずここまでだ。水海道4部作は「水海道、紙ヒコーキ飛んだ」から始まって、「水海道、そして卒業、きっと言える」まではいままで書いたプロットが生きるが、次の「富士見台、池袋、トーキョーの合唱」と「Evergreen、常緑の花嫁」で完結というかプロット上では、そしてアタマの中では完結していたのだけれど、卒業して、東京の富士見台に二人共同のアパートを借りて一年学校に通った時点で、コロナウイルスで学校に行けず、と言う時代の設定にしないとおかしなフィクションになってしまうなぁ、と絵を描きながら思った事だ。本当は二人で4年間東京・神奈川・埼玉辺りの東京圏のオカシサや狂気を観察してもらって、水海道や柏の葉に帰ってもらう筋だったのだけれど、東京は終了してしまったので、筋が大幅に変えないとと思っている。例えば、天才の平光報子は1年で専門学校を中退して個人事業主としてフリーランスのアーティストにいきなりなってしまうとか箕輪和子は星野女子大、ああ、星野女子大学は卒業まで9割の講義がオンラインで、夏期スクーリングと夏期実習で卒業出来る様にして、二人で水海道や守谷や関東鉄道やつくばエクスプレス沿線で活躍してもらうような、そんな筋だてにしないと時代に合わなくなってしまった。「富士見台、池袋、トーキョーの合唱」で私が長年視界に入れてきた東京の狂気や残酷さなんかを告発するような内容にしたかったのだけれど、コロナウイルスが東京を屠殺し、北斗の拳の世界にしてしまったから、なんともな、とシミジミ机に向かいながら思う。水海道4部作は完結させても、数年公開しないと思う。色々考えて、公開を遅らせるつもりだ。水海道ファンの方は、何年も忘却しながら、自分の人生生きてってくださいね。それじゃ、また明日から仕事なんで今日はこの辺で。2020/05/03


今日(2020/04/17)は気ぜわしく、二枚描いてしまうスケジュールにした。一週間が七日間で、その内5日間は倉庫内作業と生活に忙殺されてしまうので、休日二日で、結構こなさないといけない事が多く、例えば、三時間をゆっくり、上記の風景に対してじっくり割り当てる事が出来ないというか、考え方や心がけ次第なのだけれど、あれもやらなきゃこれもやらなきゃと脳みその中は時間とスケジュールに追われている。古利根川のほとりの、東武野田線の単線の鉄橋を描いている。この光景も多分10年から15年後には消失してしまう。東武鉄道が東武野田線を東武アーバンパークラインとして、高架複線化し、春日部駅も10年かけて高架駅になり、春日部~藤の牛島間もこれは東武アーバンパークライン最大の難工事になるだろうけど、高架複線化される運命にある。私はその時にはこの地に居ない予定である。20年後に振り返って、「51年、こういう光景だったよね」と思い出したくて、透明水彩と鉛筆で紙にイメージ記憶と時系列の記憶を固着化したようなものである。この風景からだって、春日部女子高の女子高生の女の子の物語をを思い浮かぶ事は可能だったけれど、「赤いハイヒール」で春日部を舞台にした小説作品と言うのは途絶するつもりだ。もっと広大無辺なステージが関東の地にはいくつもあるからである。電車に乗っても、バイクで行っても、そこには無限の可能性を私は見いだす事が出来る。春日部は私が51年育った地、と言う事だ。絵を描いている場所は、公園の縁でもあるので、子供達が無邪気に遊んでいた。好奇心で覗きにくるボーイズが二組あった。ボーイズには自分が芸術家として活動し、こういう絵を描くところを見せて上げた。子供の頃の視覚記憶というのは生涯焼き付くモノである。それを忘れた老齢者を、大人と私は言いたくない。老人とか廃人とか、つまんないオトナ、みたいな言い方にしたい。子供の直感で私の芸術活動を覗きに来る少年少女には、だから遠慮無く、超高絶ハイレベルの芸術活動と人間存在を見せて上げる事にしようと思っている。縁が無い人間は、まったく絵を描くための鉛筆一本すら持つことをしないで、棺桶に入るものだけれど、それでは日本の将来が危ういので、子供には惜しげも無く、鉛筆を動かして絵を描いている姿を見せて、脳みそに焼き付けてもらおう、と、上記の絵を描きながら思った事だった。2020/04/17


春日部近辺に、関東をぐるっと見渡せる里山がある。初めてそこに登って、「ああ、筑波山が見える。中学生の時、校舎の3階とかの廊下の窓から見ていたなぁ」と思った。間宮林蔵が立身出世を祈って一晩過ごした山で、二宮尊徳が、その光景の中で、桜新町を開拓した、そういう山である。小学生だか中学生の時学校の遠足で登り、何年か前に、旧友に連れられて、途中まで車で行って、サンダル履きだったから登山はやめて、と言うのが記憶にある。茨城県筑西市のグランテラス筑西の駐車場から見ていたりもする。そのティーンエイジの時、あの地平線の向こうには何があるのだろう、と思っていた。庄和高校で、美術部の部室の窓から、冬の寒空の下の光景を見て、「あの北の青い空の下には何があるのだろう」と思いながら油絵を描いていたりした。透明水彩で風景を一枚完成させたのは、生涯初めてである。学校の授業は除く。高校生の時、美術部で部の画用板に画用紙だか水彩紙を水張りして、丁寧に庄和高校の近くの用水路の水門を丁寧に描いて、途中まで描いて、そのままだ。多分自宅の押し入れにしまってあるかもしれない。一枚をざっと描いて、透明水彩の一発勝負はなかなか楽しいし、筆が私にミューズを教えてくれる。まだ描き急いでいる。抄訳版のような一枚だ。今日は休日だけれど、一日でやることが多くて、時間をゆっくり掛けると言う事が出来なかったし、鉛筆を走らせていても、本当に瞬間のイメージをさっと切り取る感じになるので、丁寧とはかけ離れている。自分の目で見たイメージ記憶の記録でもある。もうちょっと落ち着いて取り組める様に、自分を持っていきたいと思います。2020/04/17


Water Colorを大体の日本語に直すと、透明水彩やガッシュ、ポスターカラーなんかが、いままでの絵描きの常識なんだけれど、昔からアクリル絵の具もありますし、まだ使いたいけど、そこまで感性が取り戻せていないので棚にしまってある、ホルベインのホルベインDUOオイルカラーという水で描画可能な水溶性油絵の具を用意していますが、手を出すのは今は時期じゃないと思っています。10代の高校生の時、一般的油絵の具やアクリル絵の具で絵を描いてました。20代は純然と昔からの油絵の具一択で描いてました。40代で透明水彩、50代で透明水彩や水彩色鉛筆で、と画材の変化があります。透明水彩は一発芸ですから、良い挑戦になります。油絵の具は何回でもこねくり回しても出来ればオッケーだけど、透明水彩は一塗りが一発で成功しないとい意味ないです。でも水彩は紙だから、失敗しても古新聞に混ぜればいいのでエコロジーです。油絵の具はキャンバスなので、失敗するとゴミとして処分するのが難儀なんです。と言う事で透明水彩と水彩色鉛筆と水彩紙という選択になります。このサイトで公開するのは、小説にまつわる物語の要所を表現したイラストの様な水彩画、と言う事になります。ええ、緊急事態宣言で、電車に乗ることも白い目で見られる時期が5月6日まで続くので、春日部市と八丁堀と丸の内が舞台の「赤いハイヒール」の春日部舞台分だけでも、透明水彩と水彩色鉛筆で書き残しておこう、と言う事になります。ここで、先行して発表していくことですね。小説は未だに書く暇がありません。すごく書きたいけど、時間が許しませんので。紙に一枚、物語を込めて水彩画を仕上げる時間と気力はある様に思います。休日に時間が許せば取り組んでいきたいと思っています。2020/04/07

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