2025年8月20日水曜日

江戸川乱歩賞作家ポッポ氏作 タイトル:無題 ワイさん評価よろ

  私が生れたのは東京都葛飾の区役所近くにある赤十字の産院らしい。らしいというのは、本人にとってもこの手記をしたためている現在から遡ることほんの少し前に親に尋ねて聞き知ったばかりの目新しい事実だからである。ごく稀に生れた時の記憶があるといってまことしやかに語り耳目を集める奇特な御仁も居るには居るが、生後二三年の記憶ごと丸々飛んでしまっている間が抜けた私にとってはなかなかに信じ難い類のアネクドートかと聞える。初めての記憶は四歳当時の肉感、痛みを通り越した本能的な畏怖により長らく脳裏に刻まれた。なぜそうなったかの経緯までは覚えていないが、庭先に一人遊んでいた私は何かの拍子で竹の棒、その鋭利な尖端を誤って自身のふくらはぎに深く突き立ててしまった。鮮血が迸り、飛散り、どくどく流れ落ちた。私は半狂乱になって泣叫び母を呼んだ、母が慌てて玄関から飛出して来た……。痛みの多寡は覚えていない、それよりも流血に対する圧倒的な、何ら医科学的知識を持合せない幼子の「自分は何か間違ったことをしてしまったのではないか」という小さな胸から込上げた本能の生得的な叫びである。その時分には東京から現在の住所である埼玉県八潮市の一戸建てへ父、母、私の家族三人連れ立ってすでに移り住んでいた。現在でもうっすら傷跡はふくらはぎに昔日の名残を留めている。

 地元の公立小学校へ上がった。私が初めてあなたに出会ったのも今となっては懐古すること久しいこの学び舎に於いてであった。ここでのあなたの仮名をA、少女Aとしておく。同じく顔も名前もまだなかった当時の私には現在のようにあなたを認識するためのすなわち美への観念が充分に確立されておらず、それでも直観だけは未来の歪な成熟を約束してあなたの手を強く求めたのはまさに特筆すべき出来事であった。それは以下の如きエピソードである。
 小学三年生へ進級して間もない確か春先であったと記憶している。ようやく分明し始める五六年生くらいまでの幼少時の記憶はいつも曖昧に断片的であり、私は教室の窓際で少女Aと話をしていた。Aの口から転校の旨が告げられた。親の仕事の都合で海外へ引越すからクラスの皆とももう会えなくなるのだという。Aと話をしたのはそれきりであった。その時に理由も分らないまま無自覚であってもざわつく私の胸へひっそりと種は植えられたのである。後日、ホームルームの時間を充てて教室でAのお別れ会が催された。担任から説明があり、今から思い返せば餞別にしては受渡しの立場が逆であったとも思うが、Aはこの日のためにささやかなプレゼントとしてクラスメイト全員分の消しゴムを用意しており記念にそれを一人一人へ手ずから渡したいのだという。教室の後ろへ一列に並ぶよう担任が指示を出した。そして確かにこう付加えた、特に仲の良かった友達はこれで最後なのだから彼女としっかりお別れの握手をしてください。私は列の後方へ並んだ。型通りの授受の儀式は粛々と真摯に執り行われていった。惜別の言葉を交しながら残り多く握手しているのは主にAと親しかった少数の女子児童たちである。順番が来た。私はAから消しゴムを受取った。Aは次に並ぶクラスメイトへ渡すべく用意された消しゴムへ早くも手を伸ばしかけた。瞬間、その右手を私の左手が遮った。それは握手と呼ぶにはあまりにも不自然な、利き手でない左手がAの右手をねじるように無理やり掴んでしまって、自分で自分の仕出かしている失態に驚きざま意識と行動の齟齬に足をすくわれ立ち尽した。恐らくAはもっと驚いたことだろう。私は力なく項垂れて無言のままAと目すら合せなかった。ただ不粋な滑稽な形に結ばれたその手にだけ自分でも上手く言葉で表白せられない衝動に由来するやる方ない力を言い訳がましく込めた。
 以上の挿話から私が傷つきやすい、内向的な詩人肌の少年時代を過ごしたと読取った人がいるとしたらそれは誤りであるとの注釈を是非に加えなければならない。私の少年時代は悪童といって大げさなら所謂腕白小僧であり、詩どころか本など読んだこともなく学校が退ければ毎日のように宿題も疎かに外へ遊びに出かけ、人を傷つけかねない種類のいたずらにも率先して加わりしかも平気でしらを切るような、もちろんAのこともけろりと忘れて件の消しゴムなど早くにどこかへ放り出し紛失する始末であった。友人も多く、お道化た冗談や諧謔で悪友たちを笑わせ将又ませた卑猥な隠語を大声で叫びあきれさせる高飛車なムードメーカー、運動を得意としわけても足が速く市の陸上競技大会の折には百メートル走の選手として学校を代表し参加するほどの勝気なスポーツ少年であった。
 概括すれば私にとっての小学校生活は陽の当る場所での穏やかなピクニックのような人間らしい六年間であった。そこでは認識や観念、あるいは自意識や劣等感に苛まれるというより付入られる余計な知識や経験の塵は積らず、一方、過多ともいえる無意識は行動を自由自在、奔放不羈にして何より私には向う見ずな情熱があった。世界と現実と私は合せて一つであり、互いに壁を作ったり影像を何重にも分裂させて底なしの悪い夢へ引きずり込んだりする慫慂もなかった。とにかく私は人目を気にしなかった。ありのままの姿で世界へ飛出し現実に親しく遊んで無意識にそれをやってのける私はいつも陽だまりの只中にのびのびと充足してとても人間らしかった。人目を気にするようになったのは小学五六年生に進級して、その頃からはっきり記憶も定着し始めるとともに認識や観念の萌芽に千種万様の色を分別して視界は開け、次第に自分の顔だちや身なりを気にするあまり外出を控えてまた友人との会話もぎこちなく微妙に距離が生れるようになり、確実に何かが少しずつ変り始めたという息苦しくまずい演技のような自覚があった。きっかけにはいくつか心当りがあり、中でも不潔な、淫らな、空虚と法悦にまぶされたあの「悪習」に私は手を染めるようになっていた。

       *

「何の変哲もないありふれた、それでいて特に問題もなさそうな無難な少年時代を過ごしたようじゃないか。お前の言う変化だって思春期に入ろうっていう子供なら誰にでもある兆しでむしろ当然だ」
「はい。あの頃は何も考えず自由に生きることが自然とできていたんです、もしかしたら先生の仰る無心に近かったのかもしれません」
「ああ、昔の悪ガキにまで戻っちまうといい今のお前よりか百倍もマシだから。いや、いっそ生れたての赤ん坊にまで還っちまえ」
「そうはいきませんよ、赤ん坊のままではとても生きていけない」
「そいつはどうかな。続きを聞こうか」

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