791: 名無し物書き@推敲中? 2018/09/16(日) 10:06:06.60
81 :ブルー :2018/09/02(日) 15:10:12.41 .net
>>中島読者の皆さんへ
新作、上がりました。
「想川鉄道物語」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886880107
ガチャン、ガチャン、ガチャンとJR大宮駅の貨物専用レールにEF65に引かれたガソリン専用車のタキ10000が十数台が進入し、停車した。
大宮駅を利用している乗客なら毎日目にする光景だ。季節は夏、夕暮れの涼しい風が吹いていた。
東京の出版社に出入りして、主にファッション雑誌の写真を撮って生業としているフリーのカメラマン船渡川耀子は久しぶりに大宮駅でその光景を目にした。
今日はたまたま赤羽の大手印刷会社系の撮影スタジオでの撮影になったのと、大宮駅東口にちょっと用事があったから、
高崎線で大宮駅の八番ホームに降り立ったその時の事だった。耀子は最初EF65の車番を気にし、次ぎにガソリン専用タンク貨車の形式を気にした。
「あ、貨物列車、東日本大震災の時は活躍したなぁ」と思った。次ぎに感慨が湧いてきて、こう思った。
「もう10年帰っていないか、帰ろうかなぁ」と。
JR大宮駅南改札を出て、東武野田線の改札を抜ける。耀子の居住は春日部市の東口のマンションである。
二十五分の電車に揺られて、春日部駅に着く。自宅マンションは春日部駅東口から徒歩十分の所にある。
耀子はシングルマザーで、アメリカのロスアンゼルスのカメラの専門学校時代に知り合った日本人男性と結婚し、
子供を設け、離婚して日本でフリーカメラマンとして働き、娘を一人育てた。収入は一般的な会社員よりもかなり上で、
生活で困窮するという事は無かった。娘の名前は船渡川遙と言う。
十九年前の四月、想川流域にも春がやってきた。船渡川耀子は想川温泉にある船渡川旅館の長女だった。春から県立河辺高等学校二年生になり、部活は写真部だった。
通学は毎日、想川鉄道の始発から終着までレールバスのキハ3に乗って新河辺駅まで通学する。 想川駅は小さな駅で、駅舎、ターンテーブル、二本の引き込み線のレイアウトになっている。
昭和中期の風情が残る佇まいで、今時珍しい軽便鉄道の終着駅だった。一日に二往復、一両の客車を着けた貨物列車が走るダイヤグラムになっている。運ぶモノは、山から切り出した木材が主なモノで、
客車はシハ2、貨車はヨフ4と言う車番で呼ばれている。引く機関車はディーゼル機関車のDD100とDD110だ。
「行ってきます」と耀子は旅館の裏の勝手口から、出た。当時の耀子は豊かな黒髪を腰骨まで伸ばし、先端を紐で二つに分けて縛る、と言う髪型で、近所でも評判の美少女だった。
高校の制服は、ネイビー色のアクセントは白のスカーフのセーラー服。学校指定の鞄に教科書とノート、弁当を詰めて持ち、忘れてはならないのが部活に使うカメラだ。
旅館経営をする傍ら、カメラで風景や鉄道写真を撮っている父、船渡川惣助の影響で写真に興味を持ち、小学生の頃から一眼レフを借りては使い、高校生になったとき、
父から買って貰ったのがニコンのF2だった。F2を使い、やはり父親と同じように鉄道風景や、想川流域の光景、人物ではカメラ雑誌で撮影会などがあると、年に二、三回参加していた。
今日は、二年生になった最初の日、四月頭の始業式の日だった。
「よう、耀子、早いな。もっと部活やってりゃいいじゃないか」
「えー、うん。今日のモチーフは新河辺駅よ」
「あはは、そうかいそうかい。そうだ、新人を紹介しようか。八神俊一君。」
と、手を返して、朝の職員を紹介した。俊一は帽子を取って、挨拶した。
「こんにちは、朝お会いしましたね。八神俊一です。JRから特別研修で八月末まで想川鉄道で研修することになりました。右も左もわからないんですが、よろしくお願いします」
「で、この高校生が俺の妹の船渡川耀子、高校二年生写真部」
「ほー、船渡川さんの妹さんですか。写真部で、へー一眼レフカメラ使えるんですか、すごいな」
と、会話が始まって、耀子は顔が真っ赤になった。俊一の顔を見ると照れてしまう。それでも会話しないと、ともどかしく応答する耀子だった。
「あ、あの、写真部で写真撮るんです。今日は新河辺駅の風景、でも人も入っていいかも」と絞り出す。
「え、ああじゃぁまず一枚、洋介君と自分とで就職記念で機関車入れて撮ってくださいな」と爽やかに撮影依頼を言う。
「あ、はい」
「八神の出身大学、東大だよ、JRでもエリートコースになるんだろう。ここじゃ、しょうが無い、切符切りからやってもらうしかないんだけどなぁ」と軽く洋介は言う。
「え、東大出てるんですか?」
「ええ、勉強しました。でも工学部の社会基盤学科って、鉄道に関係あると言えば言えるけどね。日大の交通システム工学科とかでも良かった様に思います。
もう祖父の時代から国鉄の家系で、父も国鉄だったので、背中見てたらやっぱり鉄道会社に来ましたねぇ」「まぁいいや、じゃぁ就職記念で一枚撮ってくれ、耀子」と洋介が言うので
、耀子はカメラケースのフタを開けて、カメラを取り出した。
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