2025年8月25日月曜日

群像新人賞には応募しません。若い人への提言

 2017/8/11(金) 午後 3:37 読書日記 小説


群像の新人賞への応募が取り沙汰されているけど、2月に言ったとおり、群像の新人賞には応募しません。


例えて言うなら小学生の相撲大会は見終わって、体重減らす為にサイクリングにツレと二人で出かけようか、という感じ。


新人賞受賞という権威付けが無いと、ちょっとの掌編すらカクヨムに上げる事が出来ない人とは、無関係で居たいし、

自分には、新人賞の受賞より、「カクヨムで読みました、面白いですね」とか、「リヴァーサルフィルムの向こうにの続きが読みたいです」とか

「感性が豊かですね」と言ってくれる、無邪気な人妻とか主婦に、褒めてもらえる方が、よっぽど自分の為になるとわかりました。

また、なんで小説を書くのか、というと、「喜んで読んでくれる人が居るから書く」という事になります。決して、「コケにしたあいつらを見返そう」でも、

「受賞したら匿名掲示板の連中は黙るだろう」とか、そういう復讐的な気持ちで私は創作しないのです。


2月からの炎上騒ぎで、大畑君という作家志望とフェースブックのメッセンジャーで話しましたが、大畑君が弱って、

カクヨムに上げてる作品全部を引き上げたとき「なんで引っ込めるの?一生懸命やった結果ならさらし続けろよ」と言ったのは私です。

その後は私の愚痴が主流になり、大畑君との関係は終わった訳ですが、自分も「しまった愚痴が過ぎたか」とは思いました。

去年、国税庁の査察が入って会社潰した元社長の愚痴が自分にも毒として回ってて、運の悪さのドミノ倒しになっていたからです。

その辺から考えるに「誠意を尽くして創作した創作物は人の心を動かすし、多少の悪口は効果が無い」と思う様になっています。

そう思えるのは小説では無く油絵を数点、海外にばらまいて、フィードバックが2001年にあったからです。

ただ2001年からの騒ぎには情報が隔絶した印刷工場にいたので、情報の当人としてはあんまり実感が無かったけど。

なんか、自分は横綱と自称している様に、たまに流言が流れている様ですが、

正確には「小学生の相撲大会に大学生が出場することは無い」というのが正確な発言で、バイアスの掛かった人間には「あいつえらそーだ、

横綱のつもりでいやがる」とかうがった見方する人間のデマの類いに成ります。


今、就活をしていて、デザイナーで応募したら、「デザインは古いからダメだけど、小説書いたり、文章いじくれるなら、見込みはある」という事で、

一つ東京のあらゆる出版社に繋がっている会社の採否の連絡待ちではあります。採用なら、出版社にコネが出来て、

「カクヨムで読んだけど、面白いから書いてみる?」とか言われるようなチャンスに巡り逢うまで一生懸命仕事したいな、とは思っています。

また不採用なら、「WEBライターの口があるけど、どうする?」というアクセスもあります。ただもう49歳で自営とか起業は気力が無いので、どうしようかな、

と考えながら、掌編のプロット考えたり、取材で出かけてたりしています。


人生、どこで道が開けるかわからない物です。また、自分の夢は一日1時間使って、後は家庭を維持するために、

伴侶と一緒に同じ道歩むのでもいいんじゃないかとも思っています。色々な道があるけど、残れる道っていうのは、「誠意をつくしたか?」だと思うし、

いつか認められる日が来るのではないかと思います。まぁ宮沢賢治みたいに、死ぬまで一冊も本が売れずに、死後に認められた作家もいるし。

宮沢賢治の生きてた時代にも文芸誌はあり、売れっ子作家も作家志望も居ただろうけど、そういう人たちって、誰も残っていない様ですし、

あんまり期待は出来ないのが文筆業ではないかとも思いますけどね。


そんな訳で提言でした。

【追記】

なんか、また文意を読み違えているのが一人いるから、修正しておくけど、群像新人賞を小学生の相撲大会と言っている訳では無く、

小説の公募で「やれ一次通過だ、俺の方が上」とか「来年、受賞してプロ作家として君臨してやる」とか優越・優劣にこだわる割りには、当人はカクヨムにもさらせない、

貧弱な才能の集いとしての、匿名掲示板の創作文芸板を「小学生の相撲大会」と言っているである。それで、やっぱり、自分は横綱としているようだけれど、

これもその言ってる本人の中の自己無力感が、私の発言を「自称横綱、えらそーに」とバイアスを掛けて言い逃げてるように見える。

講談社も群像も自分には今は視界にはいっていないけど、また群像に片岡義男が掲載されるなら立ち読みはするけどな。


【追記2】

なんか痛いところつかれてしゃくに障っているのか、自分はさも横綱のように尊大で、芥川賞もあえてとらないとか、一人の自演に見えるが、

揶揄しているのがいるけど、まずカクヨムにさらせる、且つ匿名掲示板でそれを発表出来ない、というのは相撲以前に回しつけてないで、

土俵の取り組み見て、あーだこーだと玄人じみてるけどただの観客みたいなものだよね。人の事はいいから自分はどうなの?カクヨムにさらせるの?という事になる22


【追記3】

たしかに片岡義男の作品が載る群像なら考えてもいいな、と言った記憶があるけど、中島VS大畑対決スレが出来て後はワヤクチャになったのはご存じの通り。

2月の時点で「出すかも」だったけど、圧倒的に炎上したので、冷静さを欠いたけど、その時点で就職決まって落ち着いてからでないと、長編は考えられないね。、という事だったよ。

匿名掲示板の反応みていると、やはり、「自分には考えと記憶が繋がる、都合のいい言葉の取り方」が散見される。バイアスが掛かっているってこういうことだなぁと観察して思える事である。

とりあえずこのブログの記事を最初から最後まで読み切らないか、ちょっと読んで浅薄に切り返すのが「2ちゃんねる脳」だな、うかつに引っ張られないようにしようと思う。

【追記4】

前から(もう7年くらい)思っていたけど、匿名掲示板の名無し発言って、道路を普通に歩いている人に向かって、電柱の影からケツだけだして、「お前が気に入らない」とか「死ね」とか言ってる、「おかしな人」に見える。

人間の発言とか会話というのは、名前なのるなり、顔を見ながら話すというのが当然だと思うけど、匿名掲示板は、もう創設から、「会話というのは電柱の影に隠れて、見えない様に話すモノ」というので連綿と来ているわけだが、

フェースブックなどSNSでは名前つけるのが当たり前の時代に、まだかりそめの匿名で発言するのが、なんとも。今はスマホがメインでパソコンでのWEB閲覧は減少傾向にあるようだけど、この掲示板はまだ存続している。

昔、確かに匿名でないと危ないかも、と思える時代があった。警察がどう取り締まっていいか誰もがわからない時代ってのもあった。今は、大体すべての発信に発信者情報が記録されるので、警察は遡って、

プロバイダから情報を取得すればそれで特定出来る時代になって、それでも匿名掲示板が残るのは管理がずさんだからな、と思う。世の中にはまだ、自分のイニシャルのメールアドレスも作れなければ、

そもそも音声通話は出来るけど、発言記録が残るメールは気に入らない、という人物もいる。世の中、まだまだ情報の段差があるな、と振り返って思う。


【追記5】

今、気が向いて、宮沢賢治のWikipedia読んだけど、37歳で死んでいる。草野心平が死後に広めたという。同時代には萩原朔太郎がいたようだけど、この時代は、今よりもっと文芸が幅を利かせていた時代だろうけど、

同人・雑誌、何も残っていない様に見える。きっと文学青年は一杯いただろうに、今には反映されていない。みんなどこへ行ったか、というと、普通の家庭人になってその生を終えたんだろう。

自分も別に普通の人として、ひっそりその生を終えたって別に構わない。ただ、血を残すのは母親のたっての希望なんで、かなり難しいけど、トライせざるを得ない。宮沢賢治は毎日法華経を読授していたという。

生涯女の気が無かったという。少々自分と重なる部分があり、国柱会と創価学会とまた厳密に言えば違うけど、法華経で繋がってるといえばそうだけど。でも今は宮沢賢治を遡る気力無し。読みやすいモノを読んでいくしか無いんだな。

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