言葉の檻に入るという事。
2017/8/12(土) 午後 2:47
なんか匿名掲示板を刺激してしまったので、私に対する言葉がポツポツ並んだんだけど、いちいち反応する気力も愛想も無いので、総花的に話す。
世の中、人の世というのを高校卒業して、色々な世界(東京・埼玉など)を通過してきたけど、今総括して言うと、「人は言葉の檻の中に入って生活し人生を送っている」という事だ。
幸福な言葉の檻もあれば、不幸なままの言葉の檻というのもある。この記事を書くに当たって、昔、個室ビデオの店員をやってたとき横浜店の店長という人が、記憶で出てきた。
神奈川地区の評価が一番の店長だったけど、強姦致傷の罪で執行猶予中で、奥さんを大事にしている様だけど、何回も堕胎させているという。
自分は一緒に働いていて、「クズだな」とまで思ったけど、でも魅力的なんだよね。この人見てると、幸福とは何かを考える切っ掛けになるというか、今幸福とは何かを考える。
また、そこまで傷がついてもわかれない奥さんの愛についても考える。どうしてるかなぁと神奈川の方の空を見て思う。
もう一人、DTP会社を潰した社長に去年前を向いてもらおうと、スマートフォンの手配、自分が使用済みのSIMフリーのスマホあげて、MVNOの手配などをしてあげた。
たまに掛かってくる電話は、過去のどうにもならない愚痴ばかり。ハッキリ、「この愚痴聞いていると自分までおかしくなってくる」という危機感で、以降電話にも出ないし、こちらからかける事も無くなった。縁を切ったのだ。
今はスーパーで魚をさばいているようだけど、その後は知らない。この元社長も振り返ると、「人の人生狂わせていて、それに気がつかないで社長の肩書きを維持するために、税金を滞納して、借金こさえていったんだな、とんでもない人と付き合っていたんだな」と振り返る。
八丁堀に所在が在ったとき、デザイナーとして入ったが、自分が入った途端5人やめていった。みんな、それぞれに人生の目標があって働いていただろうに、人が居着かない。
自分も半年で辞めた。その後さらに間違って、印刷工場に行き、統合失調がひどくなり、以降16年低迷が続いた。倉庫も日雇い派遣から含めると11年関わった。
直近の4年間は上司の社員に恵まれて、夢のように4年間が過ぎたけど、振り返ると、すさんだ世界に11年間、拘束されたんだな、と思う様になっている。
給料は死なない程度、倉庫は拘束時間が短かった、「これじゃ結婚なんて考えられないよね」と派遣のお兄ちゃんたちと話してた。家に帰るとパソコンいじる時間は少々在ったからデザインアプリの訓練だけはしていた。
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