春日部駅東口のロータリーで真は理子が来るのを待っていた。今日は約束したツーリングの日だった。行く先は千葉県・銚子の犬吠崎を目指すことになった。理子との電話でなんとなく海が見たいという結論に達し、真も海を見るのを嫌がる理由は無かった。
約束の9時になった。理子がワインレッドのZZR400に乗ってやってきた。駅前の交番の前でバイクを停め、ヘルメットを脱いで、肩まで伸びた髪をほぐしながら、真に話しかけてきた。
「おはよう、待った?」
「おはようございます、いえそんなには待っていません」
「そう、犬吠崎、行ったこと無いけど、秋の海を眺めるのもいいものよね」
「そうですね。ああ、自分のバイク、やっと買いました、どうですVT250SPADAです。年式 不明、 20万円でした。」
真はフルフェアリングのレーサーレプリカも欲しかったが、その前に普通のバイクに乗っておこうと思った。インターネットで検索し、ホンダのVTシリーズに魅かれて、東京の中古バイ クショップまで行き、そこで買った。タンクの色はグリーンだ。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい、あ、その前にツイッター打ちます」
「中毒ねー、でもワタシフォロー入れてるけど、ドキドキする時もあるわね」
真はそう打ったあと、iPhoneをブルゾンのポケットにしまって、ヘルメットをかぶり、エンジンをスタートさせた。理子も発進の準備はととのった。
二人は軽く流しながら 16号まで出て、柏を目指す。柏で国道6号線で我孫子まで行き、そこから 右折して国道 356号線をまっすぐ行く予定だ。真のVTはすこぶる快調にエンジンんは回っていた。ガソリンも満タンで、準備万端だった。理子の ZZRは父親から借りての搭乗だったが、その順応性は大したもので、初めて公道を走る人間のようではなかった。
16号線は日曜の午前にしては緩やかに流れていた。真もツーリングで長距離は初めてなので少し緊張していた。法定速度を少しオーバーしながら二人は並んで柏の呼塚の交差点を目指す。空は雲が高く、秋の空、すがすがしかった。
やがて柏市に入り呼塚の交差点に差し掛かった、ココまで地図どおりで、予定通りだった。交差点は国道6号の水戸街道との交差で、ココを左に曲がって我孫子の市街入口交差点を目指す。二人とも運転を楽しんだ。理子は真見ながら、ゆっくりとアクセルを開ける。排気量の多少の差はあって、真は少々VTのトルク不足が気になったが、概ね二人のランデブーは快調だった。
我孫子の水戸街道の市街入口交差点を右に入り、国道356号線に乗った。あとは道なりに行けば銚子に出られる。真はまずは道に迷わないでよかった、と思っていた。
国道 356号線は利根川に並行してはしっている道で、時折、雄大な利根川の姿を見ながら走れる。空は晴れ、水も潤う、この光景は、走ってみてよかった、と真に思わせた。
我孫子市、印西市、栄町、神崎町、香取市と抜けていく。銚子まであと少し。まだ11時30分で、途中佐原で道に迷った二人だった。
と、涼子からツイートが入った。今日、他の女と出かけている自分を涼子はどう思っているだろうか、真は不安になった。真の内面は複雑さを増していた。苦しい、恋ってこんなに苦しいものかとも思う真だった。
佐原駅前で一服することにした二人は、駅前にバイクを停め、自動販売機でジュースを買い、二人で飲んだ。汗をかいてヘルメットを脱ぐと、秋風がひんやり気持ちがよかった。
「大分遠くまで来たわね、大体五分の三くらいまで来たわね」
「そうですね、腹も減ったけど、銚子で何食べましょうか」
「お寿司がやっぱり。銚子だものサカナ食べなきゃ話にならないわよ」
「ああ、やっぱり。あーでもネットでチェック入れるの忘れました。寿司でいい店は向こうで探さなきゃダメみたいです」
「ワタシも行き当たりばったりだから、とにかく犬吠崎に行けばなにかあるわよ」
そういうとジュースを飲み干し、ヘルメットを被った。
二人は、見失った国道356号線を探り出し、また、単調なクルージングに戻った。香取市、東庄市と抜け、銚子市に入った。真は潮風の匂いがしないか、感覚を研ぎ澄ませながら風を感じていった。理子も始めてみる千葉の海の光景を想像しながら、アクセルを開けて行く。
銚子市に入った。銚子駅前を通り、一路犬吠崎を目指す。君ヶ浜という海水浴場には人はもう いなかった。誰もいない海で、でも、その海のきれいさに二人はジンと来ていた。君ヶ浜を抜け、もうそこは犬吠崎の灯台が見える。到着したのだ。
「やーっと来ました」とヘルメット越しに大きな声で理子に声を掛ける真だった。犬吠崎灯台の周囲には駐車場があり、売店や土産物屋がある。夏の盛りを過ぎて、静かなたたずまいをしている。2人は駐車場にバイクを止め、ヘルメットを脱いだ。
真はツイッターに文章を放り込むと、理子と一緒に灯台に向かって歩く。みやげ物屋は2軒あったが、とりあえず海を見たかった二人だった。
「わぁ、水平線、遠くに貨物船が見えるわね、すがすがしいわ、広い海を見ていると」 「そうですね、埼玉は海無し県ですからね、まぁ田んぼが緑の海なんでしょうけど」 「そうね、私は毎日空を飛んでるから、いいんだけど、こうしてバイクで海を見に来るっていうのが結構目先が変わって面白いわ」
「写真とりましょうか、カメラ持ってきたんです」
「うん、記念にね。ちょっと撮ってもらいましょう、すみませーん、シャッター押して貰えませんか」
そういうと、土産物屋の店先でタバコを吸ってる初老の男性に声をかけて、2人並んで灯台をバックに写真を一枚撮った。
「ありがとう、ございます、ねぇ海、もっと波を見たいからちょっとそこの階段を下りて浜に出てみない?」
「ええ、そうですね、海の匂いがいいですもんね」と真は素直に従った。
2人は公衆トイレの脇の階段を下りていった。波打ち際まで、降りて歩く。潮風がすがすがしい。周囲に誰も人はいない。
「海、海だわね」
「はい、海です、気持ちいいですね」
理子は海を眺めてボンヤリしている真を見て、薄笑いを浮かべて、話しかける。いたずらをしたそうな、そんな面持ちで真に一歩近づく。
「ねぇ」
「はい?」
「ブログ、さかのぼって読んだけど、好きな人がいるのね」
「えっええまぁそうなんですが」
「どうゆう人なの?」
「どうって、そうですね、花の店フローラのフラワーデザイナー見習いで、ボクより一つ年下ですよ。あった瞬間、胸が痛くなったんですよね」
「ふーん」
「そうなんですが、まだ付き合ってるとは言えないっていうかいつ付き合えるかも分からない、ボクの片思いなんですけど」
「目をつぶって」と理子が優しく命令する。
「は、何でですか」
「いいから早く」
真は目を閉じた、その瞬間に唇に温かいものを感じた。理子が真にキスをしたのだ。
「うふふ、ぼうや、初めて?キスは。どう、いいものでしょう」
真は呆然とした。
「ああ、はい」
真は唇の余韻と口紅の味を初めて知ったのだった。青い海は静かに二人をつつんでいるようだった。
「あああ、なんだか今日は。」
理子はきっぱり気分を切り替えて、言う。
「食事にしましょう」
「はは、はい」真は動揺を隠せない。大人のオンナのいたずらに真の内面はかき回された。「キスは涼子さんとしたいのに」とも思ったが、なにせ女性と付き合うのは初めてな真の内面は複雑になっていく。
「えーっと、道路の向こう側にドライブインがありましたよね。レストランがあるから、そこで、なんかサカナ料理たべましょうか」
「寿司屋探すの面倒くさくなったものね」
「ええ、街中に戻るより、海の見えるレストランで食べるのもいいんじゃないですか」 「そうね」
そういうと 2人はドライブインへ歩いていく。
果たしてレストランは海鮮料理が結構な数のメニューとしてあった。
二人が選んだのは「イワシ天丼」だった。
窓際のテーブルに 2人は座り、海の光景を楽しみながら、イワシ天丼を注文する。
「イワシの天丼って初めて、興味あるわ、おいしそうですし」
「そうですね。でも理子さん。自分は驚いています」
「なんで、まぁキス位いいじゃないの、オトナになりなさい」
「はぁ」
「はじめて、なのよね。うふふ、いいわ、そういうの、好きだわ」
「いえ、しかし、いきなり、こういうことになっても、自分はココロの準備が」
「世の中の成り行きは、大抵ココロの準備が出来てなくて起こるものよ、変化する事に慣れていかないと、仕事だってそうよ。アナタにもいろいろな仕事があったと思うけど、一皮むけるよ うな仕事って、ココロの準備なんかお構いなしにやってくるもんじゃなかった?のんびりしてるから、乗り遅れそうになるのよ。そういう自分を変えないとダメよ」 「はい、わかりました」
確かに、今まで、仕事で成長してきた、あるいは仕事の挑戦は、思ってもいなかった時にやってきたな、と真は去年春から今年秋までの自分を振り返ってそう思った。
話に詰まって沈黙が支配しそうなとき、店の奥からイワシ天丼二人前がやってきた。テンプラの香ばしい匂いと、イワシの独特の魚臭さを伴って、でもそれは 2人にとってはご馳走だった。さっそく理子が一口食べる。
「んー美味しい。ちょっとイワシの匂いが気になるけど、美味しい、このテンプラ」
「そうですか、では自分も」
真もイワシ天丼にありつく。サカナの匂いが少しきになるが、概ね食感も味も、食べたことの無い体験だった。
2人は食事を終えると、また海をみながら取り留めなく話す。
「帰りはまた356号線を下っていけばいいですね」
「そうね、まぁ今度は道に迷わないようにしましょう。佐原で気をつけないと」
「土産買って帰りましょうか」
「なにがいいかな」
2人は会計を済ませ一階のみやげ物コーナーでそれぞれにみやげ物買った。真はスルメイカを買い、理子はお菓子を買った。
2人はバイクの停めてある駐車場へ出て、ヘルメットを被り、発進した。帰りは356号線をまっすぐ戻るだけだったか、気楽だった。
バイクで走りながら真は、キスの余韻を、記憶を租借しながら、走った。「この事はブログには書けそうに無いな、どうしようオレ。涼子さんになんていいわけしよう」と考えた。ツイッターに文字を打つ気力はもう無かった。真の中で何かが変わっていった。そう、少しオトナになった真だった。
2人は我孫子を目指してバイクを流す。まだ夕暮れには程遠い9月の日差しの中、バイクは走っていった。
題名 ツーリングで犬吠崎へ 9月5日
<今日はツーリング、教習所で知り合った女性とだ。356号線をまっすぐ行くだけだけだから、苦労は無かったけど途中佐原で道に迷った。海はきれいだった。イワシ天丼を食べて、スルメ買って帰ってきた。9月の涼しい風に包まれて、自分は幸福だ、そう感じた>
ツーリングから帰ってから、翌日、真は東京の神保町に居た。桜子のポートフォリオを携え、出版社を巡って営業攻勢をかけたのだった。まずは大手の出版社一社にアポイントメントを取った。桜子のためというよりは、真の好奇心が自身を動かしていた。
「面白い仕事に出会えるかもしれない」
そういう予感で先週出版社一社と編集プロダクション一社に電話入れた。両方とも会ってくれるというので、取り急ぎ、月曜日の午前と午後に面談の予約を入れた。
今は神保町の業界では中堅の部類に入る出版社の前に立っていた。
「よし、行こう」
そうつぶやくと、鞄の中の桜子のポートフォリオを確認しながら、中へと入っていった。
中の受付に編集部の社員の名前を告げると受付嬢が確認の内線をかける。ほどなくして 2階の女 性誌の編集セクションに案内され、担当の編集者を紹介された。
「はじめまして、ワンダースケープの青島と申します」
「いらっしゃい、早速作品を拝見しましょう」と言われて、真はポートフォリオを差し出した。
編集者はじっくりとポートフォリオを見ている。真はあらかじめ考えていたセールストークをつぶやく。
「どうでしょう?まだ 17歳でその表現力って大したものだと思っています。ウチで一押しのイラストレーターになれると思うんですけど、いかがでしょう?」
「ふーん、17歳にしては表現がオトナだね、いいよ、何か仕事考えておくよ、名刺置いてって」
「ありがとうございます、これ作品のデータの CDROMと連絡先です。よろしくお願いします」
「うん、また新作が出来たら連絡くれよな」
「はい、それでは失礼します」
出版社をあとにした真は、予想通りの好感触に嬉しさが隠せなかった。桜子は自分より先を進んでいる、その後押しをするのは、真には楽しい作業だった。今日はあと一軒、編集プロダクションに訪問営業に行かなければならない。御茶ノ水の駅前でパスタを食べたあと外神田まで歩いていく。御茶ノ水は久しぶりだった。本の虫だった真は高校生の頃よく古本屋街を歩いたものだった。
その編集プロダクションは結構老舗で、前は飯田橋にあったのだが、引っ越して御茶ノ水近辺にある。取引先の出版社が変わったためだ。ここは墨田が昔からたまに仕事を貰う関係だったが 最近は縁が遠くなっていたのを真が掘り起こした、という会社だ。
雑居ビルの三階のドアを開けると雑然とした、いかにも編集業務の行われている零細企業という感じの部屋だった。
「こんにちは、ワンダースケープの青島と申します。一時の面談のアポイントよろしくお願いします」
「おう、ワンダースケープか、久しぶりだな。墨田君は元気かな」
「はい、元気でやっています。こんにちは青島と申します、私がイラストレーターの訪問営業させていただきに上がりました」
「そうか」と初老の編集者が部屋の奥の机から立ち上がって、真の前に来た。
「まぁかけたまえ」と応接間へと案内されて、ソファに座る真だった。
「早速拝見しようじゃないか」
「はい、これです、若干17歳、ワンダースケープ一押しのイラストレーターです!」そう言ってポートフォリオを渡す。
パラパラとめくって、若干の沈黙の後、初老の編集者はうなった。
「うーん、 17歳でこれか。たいしたもんだな。そうだな、今すぐには仕事は出せないけど、どうだろう、会って見たい、会って話すうちに企画で飛び出る場合もあるからな」
「はい、ありがとうございます。ですけど、高校生だから土曜くらいしか空いてないです」
「いいよ、今週の土曜日、空いてるって言うか、忙しいから休みは日曜しかないんだ」
「では今週の土曜日につれてきますね」
「ああ、昼飯でも食いながらちょっと話して、企画が浮かんだら、知らせる」
「よろしくお願いします」
やった、と真は思った。桜子のプロデビューが近くなったかもしれないと思うと真は嬉しくなった。ようようと御茶ノ水から秋葉原まで抜けて日比谷線に乗り込む真だった。
< m_aosima やった、営業成功、南野クン、土曜日は打ち合わせっていうか面談だよ> < m_aosima よろしくね、プロデビュー、期待してるから>
土曜日の朝になった。真と桜子はフローラの前で待ち合わせして、社長に欠勤する旨を伝えると、春日部駅から東武伊勢崎線の急行に乗って北千住を目指す。
「今日は、私にとっては初めてのことなので、かなり緊張します。何を話せばいいんでしょうか」
「そんなに気負わなくてもいいんじゃないかな。気楽な世間話の中に企画のアイデアが転がっている事もあるし。先方の社長さんも、気軽な食事会程度に考えてるみたいだよ」
「ふーん、ワタシがイラストレーター……。やっぱりピンと来ないです」
「まぁ17歳じゃ業界に接しても右も左もわかんないだろうけど、ボクは正直嬉しい。才能が認められて世の中に出て行くキッカケを作るのは楽しい事だと思うようになった」
「ところで、千葉のツーリング、どうでした、相手は女性なんでしょう。ワタシはどうなったのか、気になります。ワタシは青島さんの事好きなんですからっ。こうして出てくるのも青島さんの言う事だから出てくるの。その辺わかってください」
青島は核心をつかれて、どきっとしたが、22歳が17歳をたしなめるのは、真にはそう難しい作業ではなかった。
「うーん、ボクはそうやって女の子に好意をもたれるって実は初体験、それに高校生は恋の対象じゃないかもしれない。それに高校生に手を出したら犯罪なんですけど」 「そんな、黙ってれば分からないですよ」
「まぁそうだねぇ、でもボクは好きな人、他にいるんだけど。今なんで南野クンに近づくかって言えば、そう自分の果たされない夢をさっさと実現しちゃう、凄い才能をキミが持っているから。ボクは嬉しくて楽しかった、ポートフォリオを持って出版社に持ち込み行く。いまだ自分は果たせない夢なんだよなぁ」
「ワタシにそんなに才能あるかしら」
「あるよ、目の肥えた東京の編集者の人が、イイネって言ってくれる。キミにはボクには無い洗練された才能があるよ」
「でもワタシの夢はフラワーデザイナーになる事が一番よ」
「うん、それでもいいんじゃないか、でも広く世間にキミの才能を見てもらうこともいいんじ ゃないかってそう思う。絵は捨てないでくれよ。二足のわらじでいいじゃないか」
「二足のわらじ、絵は副業にしろってことかなぁ。ワタシは子供の頃から絵描いてて、いまはそんなに面白いこととは思えないけど」
「まぁそうだね、ボクの楽しみにキミを引きずりこんでいる、といえばそうなんだけど、まぁちょっと付き合ってくれよ」
「はーい、それにしても、涼子さんが好きって、ワタシ負けませんよ」
「涼子さんが好きです。でも距離が縮まるのは時間が掛かるよ、きっと」
「元カレが忘れられない、からかしら。ワタシは大切な人を失った事がないから、わかんないんだけど、一緒に働いていると、時々遠くをみちゃう涼子さんはかわいそうって思うの」
「うん、代わりにボクが、って思うけど、いつ涼子さんの心が開くのか、わかんないけど」
話に夢中になっていると、電車は北千住に到着した。日比谷線に乗り換えて秋葉原で乗り換え、御茶ノ水で降りることに、 2人はした。
やがてこれから 2人に長い付き合いになるだろう編集プロダクションに到着した。部屋に入ると社長が、机に向かって忙しそうに編集作業をやっていた。
「こんにちは、ワンダースケープの青島と南野桜子、やってまいりました」
「おう、来たか、まずはメシでも食おう、なじみの洋食屋でいいかな」
「はい、結構です」
「あのー南野桜子です、よろしくお願いします」
「おう、絵は見たよ。いいね高校生、最近の若い子の事情に疎いから、メシでも食って話して話の中に企画を探すってのがオレの仕事に対するスタンスなんだよね、ま付き合ってくれ」
「はい、ワタシ、業界は初めてなので、結構緊張してます」
「まぁそのうち慣れるよ、行こう」
そういうと三人は近所の洋食屋に向かった。歩いて 5分の距離だが、かなり人気のない区画にひっそりとその洋食屋はあった。メニューはランチセットが結構なボリュームでしかも安かった。
「ここだ、 2人ともランチでいいよな」
「はい、ランチですね」
「まぁ座ろう」
三人はテーブル席に座って、ランチを三人前頼んだ。
社長はお絞りで手を拭きながらビジネスライクに話す。
「そうだな、南野クンの絵を見て、まずはカットから入ってもらおうって思ったのが一点。あとは出版社の雑誌の企画に使えないか、考えてるんだよ」
「おー、早速仕事発生ですか、カットですか、モノクロですね、南野クン描ける?」
「モノクロは描いた事があまり無いです。やっぱりマンガと同じで紙にペンでしょうか」
「そうだね、紙にペンと黒インクで書いてもらうかな、一点2000円で月に一回、雑誌のレギュラーページの一ページ目に乗せるんだけどね」
「はい」
「じゃメシ食い終わったら、原稿渡すから、まずは一点描いて、FAXでもメールでもいいから送ってくれるか、今名刺渡すからFAX番号とメールアドレス書いてあるので、それで」
そういうと社長は桜子に名刺を渡した。
「あのーワタシFAXも持ってないし、メールって言ってもどうやったら?携帯しか使った事無いです」
真が助け舟を出す。
「ああ、それなら心配しないでいいよ、作業はワンダースケープでやってくれる?FAXもあるしスキャナもあるから」
「ああ、なるほど、ワンダースケープに頼めばいいんですね」
「そういうこと、設備はばっちりだから、うちの会社」そこまで話すとランチがテーブルに運ばれてきた。今日のランチはチーズハンバーグのデミグラスソースだった。早速3人は食べ始める。食べながら社長が切り出す。
「それでな、今考えてるのは、女性誌のコラムのカラーイラストが出来ないかと思うんだが、まだ出版社に企画通してないっていうか、企画書も書いてないんだけどな」
「はい、女性誌ですか、南野クンの作風にぴったりじゃないですか」
「女性誌」と桜子も興味を示す。
「うん、月刊の女性誌、そこで有名芸能人の女性、そうだな、歌手とか女優とか、毎月交替で一年通して文章書いてもらって、南野クンにはそれ読んでもらって、描いて貰うか、あるいは絵を先行して描いて貰って、それを元に芸能人に文章書いてもらうか、まだ決めてない」
「ほーそれは凄いですね、カラーですよね」
「そう、油絵でもいいけど、出来ればアクリル絵の具で紙に。 Mac持ってるならMacでCGでもいいがな。でもポートフォリオ見ると油絵がいいんだよな。ただ、油絵は乾きが遅いから、出版のイラスト向きじゃないがな」
「そうですね。南野クンにはMacは追々覚えてもらうっていうか教えることは出来ますので 、まずはアクリル絵の具からですね」
「は、アクリル絵の具?それも使った事無いなぁ。名前は知ってるけど、リキテックスとかアクリラですよね、画材屋で見たことあります」
「まぁそうだね、キミの才能なら油絵の具と変わらないものが出来るだろうよ」
「はい、がんばります」
三人はそして談話しながら食事を進めた。やがて食べ終わると、社長が水を飲みながら言う。
「それじゃ、会社に戻って、原稿のコピー渡すから、それ読んで、カット描いてくれ」
社長は財布からお金を出して精算に入った。
「領収書、いつものように」
「はい、2750円です」
「うむ」
「今日はどうもご馳走様です」と真が言うと、桜子も続いて
「とても美味しかったです」
「ああ、またちょくちょくこういう形で打ち合わせは増えてくるから、二人ともオレに馴染んでくれ。わはは」そう笑いながら、社長は外に出た。そして会社に戻ると原稿のコピーを受け 取り、出来た作品の納品はメールに添付の形で納品する段取りにした。桜子の銀行の口座番号を書いてギャラの支払いの手続きもそこで確認した。
2人は挨拶をすると、会社を出て、帰路についた。桜子はまだ狐につままれたような面持ちで帰りの電車に乗った。真は仕事が成立した喜びを隠せないでいた。帰りの電車の中で桜子は真に問いかける。
「あのー、ほんとにこれでよろしいんでしょうか、いえ、絵を描くのはいやじゃないけど、こうして枠を貰って絵を描くのは初めてです、まぁお金になるからいいのかなぁ」
「うん、いいんじゃないでしょうか、そんなに学業にもフローラのバイトにも支障ないだろうから、お願いがあります。あなたにイラストレーターになって欲しいんです」
「そうストレートに言われちゃうとなぁ。困るけど当分は仕事ありますねぇ」
「がんばって」
2人は帰りも急行に乗って春日部駅まで同行した。数日中に桜子はカットを仕上げて、ワンダースケープを訪問しなくてはいけない。別れ際、その事を確認すると、 2人はそれぞれの家路に帰っていった。
題名 初仕事、打ち合わせは楽しかった 9月18日
<取引先の女子高生を説き伏せてイラストレーターとしてデビューさせる。自分の叶わなかった夢を代わりに実現してくれる、そんな才能との出会いがボクにはうれしい。自分はアクセクとデザイナーをやるが、彼女ははじめから違う。東京の一流どころの編集者に一発で認められるなんて、自分にとっては嬉しい事。さて、仕事が仕上がったら、スキャナーで読み込んで入稿用 のデータ作りを応援しなくちゃな>
その日は秋晴れの空の青さが染み渡るいい天気だった。今日は秋分の日で秋の彼岸の日だった。真は涼子目当てにフローラへ立ち寄った。最近の春日部のツイッター仲間とのユーストリーム放送のあるミーティングへ涼子を連れ出そうという目論見もあった。バイク、緑色のVT250スパーダは静かにフローラの前で止まった。ヘルメットを脱いで、バイクのシートの上に置いてあいさつをする。午前中の静かな時間だった。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ、ブログ見てますよ、桜子のデビュー決まったんですよね」と涼子が答える。手には花束を握り、今ブーケを創ってるらしかった。
「そうですね、自分の夢は絵描きになる事だったんですが、南野クンに先を越されました。っていうか、自分の楽しみで営業したんですけどね、まぁ才能があるって事で」 「いらっしゃい、青島さん」と桜子も奥から出てきた。
「こんにちは、一発目のカット、結構評価よかったようだよ、社長から電話貰った、イイヨって」
「まぁあのくらいなら描けます、毎月2000円は稼げるからいい小遣いだわ」
「青島さん、最近インターネットで検索を覚えて、花言葉のページを見つけたんです」 と涼子がゆっくり話だした。
「インターネットって便利ですよね、こうしてさまざまな情報が一瞬で手に入りますからね、青島さんの動向もブログでチェックできるから面白いです」
と言われ青島は冷や汗を書く。理子とのキスのことは書いてないのだが、ヨソのオンナとバイクでツーリングした自分のことを涼子はどう思ってるかが気になり、また心の奥が縮こまる感触を真は味わっていた。
「えーと、そうですね 22歳独身のオトコの赤裸々な告白なんですけど、まぁ引き続き見てやってください。なんか面白いです、話す前から話す事が分かってるってのは、自分には新鮮です」
「バイクでツーリング、銚子まで、ての読みましたが、何もなかったの、オンナの人と一緒で、2人きり、なにかなかったんですかぁ?」と桜子が目を細めて聞いてきた。真は一瞬ホントのことを言うか迷ったが、ごまかすことにした。
「何も無かったよ。海を見てきれいだと思い、イワシ天丼食べて帰ってきただけだよ、キミを裏切るなんて、ボクにはできないなぁ」などと茶化して言った。
「ほーほーそうですか、なんか怪しい、怪しすぎる真さん、そんなところにワタシも引かれちゃうんだけど。同い年の男の子より年上の方が頼りがいあるって感じ」
「まぁまぁそのくらいにして、結婚式場のテーブルフラワー5点作るの手伝って」と涼子がさえぎった。
「はーい、エーと皿5枚用意して、オアシスを切って置いて、と」準備できましたと桜子。
「はい、じゃぁ挿していくから」と涼子は以前に比べると大分手馴れた手つきでテーブルフラワーを作っていく。
「涼子さん、大分仕事慣れてきましたね、素人目にもはっきり分かりますよ」
「ええ、今は花を生けるのだけが楽しみですからね。そうそう、真さんには言ってなかったけどワタシ結婚はしたけど、結婚式は挙げてないんですよね、入籍だけ。お金無かったので、なにせ高校卒業したばかりでしたから」
「あーそうなんですか、でも葬式の生花よりは、祝い花のほうがいいんじゃないですか」
「そうですね、葬式の生花は基本男の人がやるんで、ワタシはもっぱら花はいじらないで、事務やってました、北千住で」
「あ、そうなんですね、それは知りませんでした。自分は花は興味なかったんですけど、ココに来るようになって、少し勉強しましたが、花は面白いですね」
「いいでしょう、花、そうですね、このネリネを一輪差し上げますわ」
といって、涼子は花桶からネリネの花を一輪さしだす。
「花言葉はあとでお調べくださいねぇ」
そう言われて真はネリネの花を受け取った。ネリネ、どんな意味があるんだろうか、真は気になった。
「花言葉っていいですよね、暗号みたいで、思いを花に託すって素敵な事だと思います」そういって涼子はテーブルフラワーの仕上げに掛かった。桜子は2人の雰囲気を悟り、それでもなお食いついた。
「はい、お 2人さん、そこまで、いい雰囲気作られちゃうと、ワタシの胸が沸き立つわ、嫉妬って言うほどの事じゃないけど、なんかむずがゆくなっちゃう」と桜子は真剣な眼差しを持ちながら真を見ながら言った。
そこへバイクがやってきた。赤い ZZR400だ。真は「まさか」と思った。そう、理子がツイッターの書き込みを見てやってきたのだ。真は真の世界が破裂する予感で心臓が止まりそうになった。ヘルメットを脱いだライダーはまさしく理子だった。肩まで伸びたセミロングの髪を撫で付けながら、理子はバイクを降りた。ジーンズにネルシャツのラフな格好で、はめていたグローブを はずしながら、店の中を見ていた。
「真クンみーつけた」と、ニヤニヤしながら店先に立った。真はしょっぱい顔をしながら、理子に返事を返す。
「理子さん、ツイッター見てたんですね。お久しぶりです。ツーリング以来ですもんね」
「そうよ、たまには会うのもいいかと思って、来ました。今日は私もフライトはオフなの。真クンの動向が気になるワタシは、やっぱり一人のオンナなのよ」といいながらニッコリ笑った。笑ったのはいいが、その向こうには、ほのかな嫉妬が混じっているのを真は肌で感じ取った。が、そうも言ってられない、硬直した真は自分を解きほぐすために、フローラの2人を理子に紹介する事にした。
「えーと、紹介します、フローラの早瀬涼子さんフラワーデザイナー見習いとアルバイトの南野桜子さん。そしてこちらはボクのバイク仲間の北川理子さんでキャビンアテンダントです」
「はじめまして、北川理子です、スチュワーデスやってます。今日は真クンの私の知らない一面を見たくてやってきました。ふーん、アナタがブログで心ときめいたって言ってた人ね。早瀬涼子さんか、覚えておくわ」
理子は涼子を一瞥すると、店の花を見渡していた。
「これだけいろいろな花を揃えてるってキレイね」
「あのーやはり銚子に行ったときに何かあったんでしょうか?」と桜子が聞いた。その聞いたときの表情は小悪魔そのものの笑みを浮かべていた。真は桜子の顔を見て、奈落の底へ落ちるような錯覚に囚われていた。
「あら、アナタも真クンのことが気になるわけ?そうねー、海を見ながらキスしたわ。よかったわよ」
「キスをした。へー青島さん、何も無かったってウソだったのね。へー」
桜子は冷ややかな目で青島を見た。
「う、す、すみません、だっていきなりだったもので、クチビルを奪われたのはボクなんです 」
「奪うなんて。22歳にもなったならキスの一つも出来ないでどうするの?と理子は笑いながら言った。涼子はその話を聞いて動揺はしなかった。落ち着いて手を動かしながらテーブルフラワーのアレンジメントを続けていた。理子は涼子に一瞥をくれると話を続けた。
「そうね、涼子さん、まだ青島さんとは進展してないみたいだし、ワタシ宣言するわ、青島君をモノにするのは、ワタシ、よくって?」
そう宣言されると、涼子は手を止めて理子をちょっと見て、静かに話し出す。
「イエ、ワタシは未だに亡くした人のことが忘れられないし、青島さんはパソコンやインターネットのことを教えてくれるいい人以上のことは今は考えていないんですよ、だから、好きにやってください。選ぶのは青島さんなんだから」
「あら、余裕っていうか、のんびり構えているんですね、じゃぁ遠慮はいらないって事ね」と理子は腕を組みながら言った。
桜子が割り込む。
「ちょ、ちょっと待って。ワタシも青島さんの事好きなんです。ですからワタシはアナタのライバルですね」と桜子は青島を見てそういう。
青島はため息をついた。
「はぁ」
理子は青島を見て少しいらだちながら、
「青島クン、もてるのね、いいわ、ワタシ、あなたの心をワタシに振り向かせてみるわ、絶対」
そこまで言われて真は天を見上げる。真はオンナたちの苛立ち、嫉妬、はやる気持ちを会話か ら感じ取っていた。オンナの怖さをかいま見て、そしてやるせない気持ちになった。
「あの、もういいじゃないですか。自分は確かに彼女なしなんだけど、今は涼子さんが好きで、でも、涼子さんは元カレが忘れられなくて、南野クンは好きっていうか、その才能をボクは買ってるし、理子さんは……」
「ワタシはどうなの、どう思うのよ?ワタシのこと」
「あのーいや、バイク仲間なんですけど」
「それだけ」
二の句がつげない真だった。この硬直した空気を真はどうしようもなかった。真の内面は地獄落ちしていた。そこへ、奥から店の様子を見に出た早瀬社長が助け船をだす。 「いらっしゃい、美人さん。青島君の彼女かな?青島君もてるなぁ」
「まだ、彼女未満なんです、でもキスはしましたけどね」
「そうでしたか」と息を抜いて手を前に組み涼子のほうを見て言った。
「涼子、今日はお彼岸だからこれから墓参りに行こう、半年ぶりにあってこようじゃないか」
そういうと涼子は
「そうですね、行きましょう。」とテーブルフラワーのアレンジメントの手を止めた。
早瀬社長は、場の雰囲気察して、真を連れだそうと、機転をきかせた。
「青島君、どうだ、墓参りに一緒に行かないか、涼子が好きなら、涼子のすべてを知るのは悪い事じゃないだろう」
「は、はい、行きます」
「墓は一ノ割の春日部霊園にある。以前は静岡の山奥にあったのだけれど、早瀬の本家ももう無いし、北千住の兄貴と相談して今年の春に春日部霊園に移築したんだ。ちょうど空きがあったのでね、だから大分ラクになったんだよ」
「へーそうなんですか、じゃぁ一緒に行きます」と、真はほっとした様子で言った。
理子はほっとした様子の真を見て釘をさす。
「あら、助かったわね真クン、いいわ、ワタシ帰るけど、また来るわ。今度は花を買いに来ましょうかね。でもあなたの事あきらめるって訳じゃないから、じゃぁね」
「はぁ、あまり自分をいじめないでください」
「いじめてなんかいないわよ。アナタのことが気になるの、それだけ」
真は目をつぶって理子を送り出す。理子はヘルメットを被りZZRのセルスターターを起動する。そして発進した。見送りながら、真はほっとした。
「じゃぁ桜子、後はたのんだわ」と涼子はエプロンを脱ぎながら、身支度をする。
「はい、熊田さんと一緒だから、大丈夫ですよ、いってらっしゃい」
「それじゃ行こう、徒歩でゆっくり行こう」と早瀬社長は店を出て行く。涼子と真はあとをついて行った。春日部駅までは徒歩だった。三人は歩きながら、話を進めた。
「青島君、大変だな。オトコはモテるときはモテるからな。厳しそうだったから、助けてあげたよ」
「ありがとうございます。自分は女の子にねじ込まれるのってはじめてです。なんか身がすくみましたよ、オンナって怖いですね」
「まぁな、そのうち慣れるよ、さっき来てた女の人も美人だったなぁ」
「北川理子さんのことですか。スチュワーデスやってて、バイクの免許取るとき知り合ったんですが」
「ほースチュワーデスね、カッコイイね」
「この前、銚子にツーリングに行った時にキスされました。涼子さん、そうゆうわけなんです、ごめんなさい。ブログには書けなっかたです」
「いいんですよ。ワタシが真さんを縛る理由はいまのところ無いんですから。ワタシは今は花 の仕事に集中していますので」と涼子は冷めていた。キスをしたことが分かった時、少し動揺したが、手を動かして花作りに集中したら、動揺は消えていた。その事を思い出して、涼子は平常心を取り戻したのだった。
「さて駅に着いたぞ、切符を買おう、一ノ割駅までだ」
三人は切符を買い改札を抜け一番線のホームに立った。早瀬社長は切り出す。
「となり駅だからな、まぁゆっくり行こう」と電車を待つ。
数分で各駅停車の東武伊勢崎線の電車がやってきて三人は乗り込んだ。
「静岡の墓ですか、遠かったんですね」
「うん、本家も無いけど、墓は動かせなかったからね。涼子も甥の墓参りには静岡まで行ってたんだよ」
「涼子さん、大変でしたね」と真は落ち着いている涼子に話しかける。
「ええ、ワタシ、命日には静岡まで、行ってました。今年の春から春日部に移築したから大分ラクになりましよ」
ほどなく電車は一ノ割駅に着いた。
「さて、霊園まではちょっと歩くけど、行こうか」
駅前から細い道を藤塚橋の交差点まで歩き、橋を超えコンビニのある信号を右に曲がる。左手 に保育所と香取神社を見ながら、霊園まではあと一キロぐらいあるだろうか。 「ひなびたいいところだろう」
「そうですね」
やがて春日部霊園が見えてきた。ココには霊園が三つある、かなり古くからある霊園なのだ った。三人は霊園の正門から入り、一番古利根川沿いの一画にある古びた墓の前に立った。
「さぁ、ここが早瀬家の墓だよ、ちょっと水汲んでくる」と言って早瀬社長は正門脇の水道に 向かった。墓にかける水を汲むためだ。真は涼子と2人きりになって、なにか言葉を、と模索したが、シンミリしている涼子にかける言葉はなかなか見つからなかった。考えた末に言葉をだした。
「涼子さん、亡くなった旦那さんってどういう人だったんですか?」
そう聞かれて、涼子はうつむいた。
「どんな人だったか。優しい人でした、とっても」
「優しい人でしたか、そうですか」
「青島さんも随分やさしい人ですけど、ワタシ、16歳で恋に落ちて、夢中で高校生活を送って卒業して入籍して、ってワタシの青春はめまぐるしかったです」
「ボクなんか、高校生の頃はぼんやりしてましたよ。美術室で油絵描くのが面白くてしょうが なかったけど」
「わたし……」と涼子が言いかけた時、早瀬社長がオケに水を入れシキミを携えて、墓に戻ってきた。
「よし、準備できた、涼子、線香に火をつけてくれ」
「はい、わかりました、ライター貸してください」と涼子は持参した線香の一束に火をつけていた。
「さて、墓掃除しなくちゃな、ボロ雑巾も流しに置いてあったから」
そういって早瀬社長は墓を丁寧に拭いていく。水を入れてシキミを飾った。
「よし、供養しようか。南無妙法蓮華経」
三人は手を合わせて、静かに弔った。
「ココがオレの甥の眠る墓さ。先祖代々ココに眠ることになる。オレもあと何十年かしたらここにはいるんだよなぁ」
「まだ先のことじゃないですか」と真は言った。
「オレの甥は急性心不全で逝った。高校卒業してすぐに入籍なんて、オレも驚いてたんだけど、涼子と2人の姿をみて、18歳にしちゃ大人びた2人だったなぁって記憶だよ」
「へーそうなんですか。自分は高校卒業したら美術の予備校でひたすらデッサンしてました。 女の子には興味なかったんですよね。それより絵を描くのが面白かったので」
「人生それぞれだよな。涼子、墓の前でなんだけど、そろそろ、今と未来を生きてみたらどうだ。過去や死者に縛られているには、今のオマエの若さでは勿体無いだろう」と涼子に早瀬社長は話しかける。
涼子は涙した。涙が頬伝わって落ちていくのを真は見てはっとした。「私、私というものが分かりません」
そういうと、手で顔を覆った。涼子の琴線に触れるものがあったのだろう。とっさに真は涼子の手を握った。強く握り、そして涼子は握り返した。
「分からなくていいんじゃないですか、自分だって自分がどうしたいのか分からなくなることがありますよ」
そういうと二人は視線を合わせた。
「ね、今日はゆっくり休みましょうよ」
「はい、今日は、ワタシ、もうだめです。昔の事を思い出すと涙が出てきちゃう」
「ああ、今日はもう休め」と早瀬社長が言う。
「それじゃ、そろそろ帰ろうか」
「そうですね、涼子さん帰りましょう。」と手を握ったまま真は帰ることを促す。 「はい」
そういうと涼子は左手で涙をぬぐった。そして空を見上げる。秋の雲は高く漂い、青空は少し夏の光景を残しながら、みずみずしく青かった。
三人は霊園の正門を出て、一ノ割駅に向かった。歩いていく途中、さまざまな人とすれ違う。 今日は秋分の日、お彼岸の真っ最中だ、ミナそれぞれに仏花をもち墓へと向かっている。涼子と真は手を握ったままだった。涼子のひんやりした手の感触を真は感じながら、それでも真は手を 離さなかった。そして言う。
「涼子さん、今日は、涼子さんとの距離が1センチは近づいたような気がします」 涼子は返す。
「ワタシ、ワタシみたいなオンナで良いんですか?」と、うつむきながらつぶやく。
「いいんじゃないですか、ボクは涼子さんのこと大事に思ってます。涼子さんの中で過去は決して消えるものじゃないだろうけど、ボクは待ちます。あなたとの心の距離が0センチメートルになるまで、ボクは待ちます」
2人は結局一ノ割の駅の券売機で切符を買うまで手を握ったまま歩いてきた。早瀬社長は涼子の中に新しい心の動きがかすかに動いているのを感じて嬉しく思っていた。ただ、その事は早瀬 社長は今はそっと秘めておこうと思い、電車に乗るまで、無言でいた。 春日部駅について、ゆっくりフローラに戻る三人だった。帰る途中真は、今日の用事でもう一 つ涼子に言うべきことを忘れていたの思い出した。
「涼子さん、そうだ、言うの忘れてたけど、今度カスコンでミーティングがあるんだけど、一緒に参加しませんか?ユーストリームで実況中継でちょっと恥ずかしいんですが、まぁ5人くらいしか見ないインターネットテレビ放送なんですけどね」
涼子は驚いて当惑した顔で言った。
「ええ、まぁ一回くらいなら出てもいいですけど、テレビに出るんですか?ワタシ」 「ええ、でもまだ出来たばかりで誰も見ない番組ですけど、ツイッターでリンク貼っても見るのは春日部のツイッター仲間くらいなものですよ。春日部の花娘代表で是非ご一緒したいんですけど」
「はぁわかりました、真さん一緒に行ってくれるんですよね」
「もちろん、一緒ですよ」
「おおーっと、面白そうな話だな。フローラの宣伝にもなるから、涼子出て見れ。今と未来に生きろ、オンナに生まれたならな」と無言だった早瀬社長がエールを送る。
「今と未来に生きる。そうですね、オンナですものね」
「まぁいいよ、今日は涼子は仕事上がっていい。あとは桜子と熊田がやるから」
「えーっと、ほんとは涼子さんをバイクに乗せて走り回りたいですが、まだ免許とって間もな いのでタンデム禁止なんです。今日は一人で吉川とか旧庄和の田んぼ道走ってきます」
「そうですか。ああ、あとテレビの放映っていつやるんですか?日にちが知りたいです」
「ああ、ミーティングは来週の金曜日です。丸和不動産の三階の応接室でやりますね。金曜日 の夕方迎えに来ますので、その時はよろしくお願いします。涼子さんみたいな美人が来ればみんな沸き立つ事受けあいですので、楽しみです」
「ええ、それじゃ今日は桜子と熊田さんにあいさつしてから帰ります」
「涼子さん、今まで聞かなかったけど、どちらに住んでるんですか、すいません、興味があったので聞いちゃいます」
「南桜井の、江戸川のほとりのワンルームアパートです。実家は足立区なんで、まぁ東武線で通ってもよかったんですけど、通勤時間が苦痛なので春日部にアパート借りたんですよ」
「そうなんですか、自分最近手紙に凝ってて、高校の同級生とかによくハガキを送ることをやってます。インターネットのメールもいいけど、手紙の味わいもまたいいものですよ、ですから、あとで住所教えてくださいね」
「手紙ですか、いいですよ。そういえばワタシも年賀状も出さないで3年経っちゃいました。高校卒業してすぐ入籍して、夫が無くなってあわただしく三年過ごしちゃいましたからね」
「過去は過去ですよね、オンナなら今と未来に生きないと。天国のだんなさんもそう思って るじゃないかな」
「そうですね、ああ、フローラについた、それでは」
そういうと涼子は店に入っていき、桜子と熊田にあいさつを入れて、その長い髪をリボンでまとめて少しはしゃぐように店を出てきた」
「それじゃ、今日はこれで帰ります。ちょっとララガーデンによって、洋服でも見て帰りますわ。真さん、それじゃまた今度」
「ええ、また来週。当日に携帯にメール入れますから」
「はい、分かりました、それじゃ」
そういうと涼子は横断歩道を渡り、郵便局の脇を抜けララガーデンへむけて歩いていった。その背中を見送りながら真は自分も動く準備をした。店前に停めてあったバイクにキーを挿し、ヘルメットを被り、バイクにまたがったところで、早瀬社長が大きな声で言った。
「青島君、涼子のこと頼んだよ、アイツの時計を動かせるのは、きっとキミしかいない。影ながら応援するぞ」
そういわれて、真は背筋にピンと気合が入るのが分かった、そして答える。
「はい、分かりました」
そういうと真はアクセルを空け、ゆっくり車道に出て行った。前方には涼子の後姿が見え、バイクのミラーにはフローラと早瀬社長の姿が見える。ゆっくりアクセルを空け信号は青だったの で思い切りよくバイクを発進させた。次第に遠くなるフローラ。そして、少し楽しげに歩く涼子を横目で見ながらバイクは走っていく。空は少し夕暮れに掛かっていた。夕暮れまではあとわずかだった。
題名 秋分の日、墓参り 9月23日
<今日は好きなあの人に会いにフローラへ行った。ちょっとしたアクシデントはあったけれど、概ね今日はいい日だった。彼女の過去を知り、そして未来へ導くためにボクは生きているんだ。そう思うと胸が熱くなってくる。これは恋なんだ。墓参りの帰り、ボクは彼女の手を握ったまま 離さなかった。彼女のひんやりした手を握り、未来を思った。>
翌24日、ワンダースケープの三人は仕事が終わって三人でラウンドアバウトで飲んでいた。真は恵子と墨田に秋分の日に自分の身に起きた出来事をすべて報告した。恵子は電気ブランをあおりながら、真に食いついた。
「ふーん、それで、手を握ったと。それが進展だと、アンタはいいたいわけね」
「ええ、手を握りましたよ。新鮮です。心と心の距離が一センチ近づいたって感じです」
「まぁ涼子さんの身上を聞けば結構難しい人みたいだから、いいな、真、よくやったよ」と墨田がフォローを入れる
「ありがとうございます。いつか彼女との距離がゼロセンチに近づくように頑張ってみます」
「心の距離か。一度すれ違うと取り戻すのが難しいが、まぁゆっくりやれや」
「はい、フローラの社長さんにも期待されています、ですので頑張ります」
「でもさ、真クン、未だに童貞なんだよね」と酔った勢いで恵子が突っ込む。
「はい、でもそんなことは今はどうでもいいです。彼女との心の距離が近づけばそれでボクは救われます」
「好きにやって頂戴、マスター、このボウヤのために何か一曲プレゼントしてやって」 「はいよー」
スローなバラードが流れてきた。そう、真は未だ童貞のままなのだった。
了
「フローラの追憶 第一部」
文・イラスト ブルーアイリス・中島英樹 URL:http:www.blueiris.jp メールblueirisr8@yahoo.co.jp
※原文ママ
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