2025年2月15日土曜日

メディアを積み上げる001

 「めぞん一刻」と「藍より青し」と「らぶひな」、女性が描くハーレムラブコメと男性が描くハーレムラブコメの違いを楽しむ。


いろいろな話していると、マンガの話になる。マンガの話で、「藍より青し」ってまぁコロナの緊急事態宣言下で、しょうがないから、Amazonで全巻揃えで中古本を購入して、一通り読んだ、アニメも配信で二期まで全話見た、みたいな話になる。私は「藍より青し」のアニメとかは多分2001年か2002年頃知っていた。大日本印刷久喜工場と言う刑務所に2~3年ほど拘束されてしまっている内に、すっかりテレビでテレビアニメをVHSビデオで録画して追いかける、と言う習慣も壊れてしまったので、今年、dアニメストアで偶然、「藍より青し」の配信があるのを知って、アニメを見る前に原作を通して読んでみようとAmazonで捨て値で全巻揃えを購入して緊急事態宣言の中で読んだのだった。すぐに届いて、一巻を読む。面白い。お互いもう成人近くになって顔が解らない許嫁が、実家を捨てて、つむぎを着てやってくる。かろうじて住所と幼い頃の写真だけが頼りの十数年ぶりの再開。そして、同居が始まるかどうか、と言う物語のオープニングは、新鮮で面白かった。一巻を読んで、17巻までのめくるめく面白いかもと言う期待にふくらみながら、2巻・3巻と読み進めていくと、だんだん1巻を読み終えたときの、期待と想像が裏切られていくのが解る。17巻まで読んで、「らぶひな」とかそういうのと同ジャンル、と思った。そこで「めぞん一刻という傑作マンガがありまして」という話になる。「めぞん一刻」を連載の途中から読み始めたのは中学2年生の時、ビッグコミックスピリッツというのは、当時いけてるマンガ雑誌だった。あの頃のビッグコミックスピリッツは、他にも色々面白いマンガが結構連載されていて、少年ジャンプやサンデーは卒業して、隔週・毎週買うのはスピリッツだけになって高校生になり、美術部で活動が終わると、庄和高校から農道と国道16号を横切って、藤の牛島の牛島書店に立ち寄って月曜日に買う、と言うのが青春の思い出だった。特に、お互いのすれ違いで響子さんが金沢へ一人旅に出て五代が追いかける、と言うあの数話の「次ぎはどうなるんだ」というハラハラ感は青春時代の思い出である。響子さんが三鷹のマンションで、事故で押し倒されているのを、九条明日菜と五代がバッタリ目撃して、ってそこから誤解とすれ違いが始まって響子さんが金沢へ一人旅に出るのを五代が追いかけると言うエピソードとか、今でも思い出せる。で、結論で言うと、女心の微妙な心理描写は、男にはかけないよね。文月晃も赤松健も男だし、ほとんど性的表現で匂わしているから、高橋留美子の天才性には敵わないと思う、と言う結論に達した。私の記憶で言うと、「めぞん一刻」がその後の、「やたら男性主人公が女性と一杯出会う、登場する、縁がありすぎて困る」というマンガの物語の構図を規定したように、52歳で過去を振り返ると思う。アフター「めぞん一刻」・「うる星やつら」で、様々なコミック・ライトノベル・アニメ作品と2001年頃から日本の東京から爆裂して日本全国にまき散らされた訳だけど、「藍より青し」も「らぶひな」も、そのカテゴリーの範囲だった、と言う事だ。私が認識しているのは、「俺の妹がこんなに可愛いわけが無い」も「エロマンガ先生」も「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」も「彼女お借りします」も、結局、女性の天才の高橋留美子が規定した「めぞん一刻」には敵わない、と私はそう思う。でも、今の高校生は「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」が俺の青春だった、あれほどのラノベ・アニメは無い、と30年後に言うのかもしれない。「彼女お借りします」は、Amazonレビューとかで見ると、「男性主人公がクソ野郎」とか私なんかは「高校生の派遣リフレのエッセンスが含まれていて、病的な感じ」と、一期を見通して思う事だ。結果は主人公とヒロインの結婚だろうけど、まぁロクなアニメじゃない。ヒロインがやたら魅力的だけど。本当に東京のメディアには自浄能力は無いと思う。

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