なんで見始めたんだろう。やっぱ「修羅場」という単語にひかれたからだろうな。「俺ガイル」で今時のラブコメに興味が強く湧いたから、じゃぁどういうバリエーションか、と確認の意味で見始めたんだよな。最初の数話はなんかチグハグに感じたけど、この作品の世界観と設定とキャラクターの分別が出来てくると結構面白く見られたな、と思う。最初の数話の勉強オンリーの主人公というか、今時のラブコメの男性主人公は全て刺身のツマなんであって、なんで勉強に打ち込む様になったのか、とかこの世界観での設定が騙られて行くにつれて納得は行くのだけれど、荒唐無稽なキャラクターが次ぎ次と登場しては、主人公にまとわりついていくのを、この男性主人公は、胸が痛むとか、泣きたくなるほど切なくなる、と言う描写は記憶の限りでは無いのである。楽しめると言うのは、単に毎回修羅場を迎える、幼なじみと彼女の描写が楽しい。この作品を中盤まで見て思うのは、やはり「うる星やつら」の様に見える。どう考えても高橋留美子の作ったラブコメの枠を破った作品とは思えないのである。高橋留美子以前というのは果たしてあったのか解らないのだけれど、たたみかける様に女の子キャラクターが出て来ては男性主人公に絡み倒す黄金パターンは「うる星やつら」や「めぞん一刻」が金字塔で、それの枠内のバリエーションにどうしても見えてしまうおじさんなのだった。13話一期で終了の様だけれど、原作は14巻くらいまで出て、主人公の「男性」の幼なじみのカオル君が実は裏ボスだった、とか、最新15巻の表紙はそれまでの女の子の可愛い系の表紙とは違ってホラーな感じになってるので、15巻で実は真実が明らかになるとかそういう事らしい。ブックオフでヒマがあったら立ち読みして、筋を確認して終了だろう。確かに作品の世界観に浸かって、女の子キャラクターの気持ちを感じ取りながら見ると楽しめるし、修羅場も結構だし、と思う。20代、修羅場を何回も経験して、30代から、女性関係を忌避するというか、なるべく避ける生き方をして52歳で、今振り返る様にまた修羅場になるか、実はまた修羅場を20代とは思考回路の違う対処の仕方で、楽しんでみたいと心の底でちょっと思っている。だって、私の事を女性はほっておかないからだもん。ちょっと遠い目をしたい。2020/10/25
ライトノベルにおけるラブコメに対する考察、その為にブックオフで110円で売られてる文庫を中心に買ってみました。2020/10/24
この様に、ブックオフで110円で売られている本を中心に集めてみました。
dアニメストアで富野由悠季とかハクション大魔王2020とかそう言うバラエティに触れた作品を見ていて、まぁ「日本のアニメーションの記述」でも書いている通り、角川系エロオタク系アニメに辟易して、そういうセックスを暗喩しないアニメーション作品を選んで見ていた。「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」はなんとなく、「冴えない彼女の育て方」とはちょっと違うのだろうか、と思って軽い気持ちで見始めた。そこからが自分の好奇心がいたく刺激される結果になった。最初の一話の雪の下雪乃の「優秀な人間ほど生きづらい」と言う言葉で、「これはなんか他のラノベのアニメ作品とは違うな、引かれるな」と思い、結局アニメーション作品としての「俺ガイル」にハマってしまった。ただ、ハマルと言っても、いきなり既刊の文庫を14巻+補巻3巻を借りて一気読みなど出来る訳も無いし、する気も無いけれど、アニメは一期見て、二期はまだ見て居ない。三期で完結だけれど、最終二話が無料で見られたので、一期から三期最終回で、結末は解ったので、それでこの商業作品の消化は終了に近い。「俺ガイル」のヒロイン二人、雪の下雪乃と由比ヶ浜結衣はどちらも魅力的に映った。どうも高校二年生の一年間を9年かけて、17冊にしたという、作家の労力というか、まぁ良く書き続けたモノだと思う。なんでもYoutubeのコメント欄や、検索で出てくる完結した雪乃エンドとラストシーンで感想やコメント見ると考える事は、「ああ、中学・高校で9年間この作品にのめり込んだ青少年たちは、10年から30年後も懐かしい青春の記憶と思い出になるんだな、俺のめぞん一刻と音無響子さんと同じ事になるんだなぁ」とつくづく思った。高橋留美子の天才性に関しては、「俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる」と合わせて語るけれども、作者はこの「俺ガイル」で、スピンオフとか短編集とかを出していく所信を表明していた。そこまでつきあう必要がないのは、主人公の比企谷八幡のこのオンナに挟まれて、どういう人生になるか、簡単に想像がつくからである。この3人の関係で20代大学卒業して、まぁ就職、そこから本気の修羅場が始まると思う。その修羅場に対するエンドは三つくらい思い付く。1・単純に苦悩して自殺する。2・完全に追い込まれて自殺は極限で避けて、心は南極大陸に飛ばして、北海道とか地球の反対側のブラジル辺りで過去を捨てて新生活をする。3・両方とも妊娠させる。の三つの内どれかだと思う。実際、私20代に何回もこういう修羅場に立ち会って、最終話の「女の子はあきらめないのが特権だからね」というセリフは、そうだなぁ、とつくづく納得して、三期の最終話を見たんだよな。俺もそうだったけど、俺の母方の親戚でも昭和三十年代にそう言う人が居た。慶応大の医学部を出て医者になったけど、オンナ二人に挟まれて、自殺した。子供をどっちかのオンナに残したが、オンナは、男が死んでも子供がいるからと、下舐め釣りして子供を育てたと言う。それを私の母親から聞いて、「オンナって恐いね」て心底思ったよな。そういう血筋だから、「俺ガイル」の14巻をブックオフで立ち読みして、比企谷八幡の行く末を妄想して、それで本を閉じて棚にもどした。この作品って、ある一定のレベルに女性が達すると、子宮単位でモノゴオが決まるようなので、言葉でいくら言っても話し世界になるよなぁと52歳で過去歴で考えるとそう思う。これでラノベのラブコメのバリエーションに興味を持った私は、「俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる」に突入する。まぁ話の出だしがギャグ漫画なのだけれど、シリアスになる要素が伏線としてチラホラ置いてあって、最終13話で、本当の修羅場の始まりの序章に過ぎなかった事を知る。二期三期は視聴率的に失敗したようだ。文庫も読む気は起きない。ただ「俺修羅」「俺ガイル」を見ると高橋留美子はつくづく偉大なラブコメの漫画家でストーリーテラーだったな、と思う。リアルタイムで「うる星やつら」と「めぞん一刻」をアニメで見て、ビッグコミックスピリッツの発売日の月曜日には部活をサボって、庄和高校から一番近いと思われる牛島書店に自転車でダッシュで向かって、切ない気持ちでビッグコミックスピリッツを買い、家に帰って「めぞん一刻」の次ぎの回を読んできた私には、高橋留美子が書かなかったら、どうなっていただろうと思う。「俺修羅」は「うる星やつら」のバリエーションに見えるし、「俺ガイル」は「めぞん一刻」や「きまぐれオレンジロード」のバリエーションに見える。もう今のラブコメのエッセンスというのは高橋留美子という女性が女性の視点で男子に向かってやったのだから、それ以上の事は、男性作家には出来ないだろうなぁ、と思いながら、仕事をしていた。仕事をしていて、ふと「他のライトノベルのラブコメってどうだろう。そうだ、出版社のセールス・マーケティングで失敗した、一巻だけ出て、その後続かなくて消えていった文庫本を110円で買ったら面白いかも」という発想になった。だから、仕事の帰りに国道16号沿いのブックオフで買ったのが、「クラスで一番の彼女が実はぼっちの俺の彼女です」を110円で見つけて、面白がった。2巻も出ている様だけど、まぁ続かなそうだ。2巻で終了。その次ぎにせんげん台のブックオフでやっぱりセールス的に失敗している110円のラノベを5冊買った。これも読むのが楽しみだ。表紙のイラストは美しい。他にもAmazonで新刊で一冊、「このあと滅茶苦茶ラブコメした2」を買い、今日杉戸町のブックオフで「幼なじみが絶対負けないラブコメ」と他1冊、400円2冊で800円だったけど、読んでみるかと買ってきた。でも上記の写真でこれだけ並べても、心の中の真実は、「いや、こういうの100冊読むより、一人のムリ目な女の子に声かけて仲良くおしゃべりした方が絶対リアルなラブコメ出来る」とつくづく思っているけれど。そうするつもりだし、そうなるように行動を変えて行くつもりだけれど。まぁこれだけ買って、一冊半日で読むとして、しばらくは、脳みそが意外な方向からの刺激でチクチクされるのを味わいつつ、生活の為の仕事を自分の好きなことをやる事業と、新しく出来た、というか前から思っていた目標に向かって年末と新年を埼玉・千葉で迎える様になっていると思う。2020/10/24
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