2025年2月15日土曜日

メディアを積み上げる002

 メイン・テーマ 角川春樹事務所 角川書店

  このブルーレイディスクをAmazonで購入したのは2020年7月8日だ。丁度フォークリフト教習を受けていて、次ぎの仕事が決まって野田市の北朝鮮企業を脱北したら見ようと思って本棚にしまっておいたままだった。12月27日、ようやく気持ちにゆとりが出来たから、朝4時にやっぱり起きてメシを食い、創作の準備をしながら見ようと言う事になった。映画をロードショーで見たことが無い。中学生の頃、確かに片岡義男の魅力にハマり、春日部市立図書館で数冊の角川書店の赤い背表紙の片岡義男の文庫本を読んではいたが、「メイン・テーマ」の三冊は、図書課に置いてなかったから、50歳になるまで、「メイン・テーマ?なんだかよく解らない片岡作品だな」と、自分の中で読む意識が働かなかった作品だった。切っ掛けは中古本に挟まっていた当時の角川書店のシオリで、メイン・テーマの映画の広告が載っていて、「あ、これも押さえておかないといけないよね」と文庫本を1巻から3巻まで中古本で取り寄せて読んだ。1巻を読んだ時点で面白い、とは思った。後書きには当時の片岡義男は12巻で完結と宣言している。実際は3巻止まりで、内容は、多重分割されたロードムービーみたいなモノだ。軸になるサーファーの二人のゴール地点はどうなのか、と思う。3巻を読んだ記憶が無い。12巻で終わるはずの作品を3巻で未完させるがっかり感を味わいたくないからだろう。物語の多重構成と登場人物が、様々な接点を次第に接点から付き合いに変わって行く、そう言う4人のバイオリン演奏者のバイオリン組曲のような小説であったろう、と思う。

 そう言う訳で、小説で「メイン・テーマ」の世界感と片岡義男のフィーリングを先に知っていて、それでも映像があるなら、と購入した次第だ。世の中コロナフィーバーの第三期なので、引きこもりに見せかけて自宅でコツコツやるには好都合だ。冬期休暇で世間との接点は、春日部市のスーパーとかホームセンターくらいしか無いから、そういうときはマスクをして世間に溶け込んでいる様に見せかけて用事を済ませるのであった。で、朝からちょっと中断して、「メイン・テーマ」を視聴したけれども、19歳くらいの薬師丸ひろ子は、かなり魅力的な「かわいい」女優という事で魅力的だった。こんな薬師丸ひろ子を知らなかった。野村宏伸はジャケットでカッコイイ感じのイメージがつくけど、実際見てみると、声が中学生みたいで、全然薬師丸ひろ子の魅力に釣り合わない印象だった。桃井かおりがもう一つの軸だったり、太田裕美が出てたり、なかなか楽しめる昔の女優持ち上げの角川映画、っていう感じ。森田芳光が監督だけど、片岡義男のエッセンスはあるけれど、片岡義男の小説版を読んで沸き起こる映像のイメージとは、かなりかけ離れている印象だった。それはそれで、ヒロインは夢のホテルの一泊のイントロダクションの映像と、薬師丸ひろ子が歌う「メイン・テーマ」の楽曲で終わる。後半の舞台は全て沖縄。全てはコロナフィーバーの最中では、取り戻すことは難しい、昭和の夢物語であった。

 「メイン・テーマ」を見て、原田知世の「早春物語」と渡辺典子の「彼のオートバイ、彼女の島」もオーダーしようと、ギリギリまで思い詰めたけど、やっぱり止めた。他に優先順位の高い買い物があるからだ。Youtubeで見る、「早春物語」の原田知世は、「実にいいオンナ」という感じがする。飛びついて口説いて見たくなる。もうムリだけど、過去の映像で、原田知世の過去の断面図だから。渡辺典子は、見たことないから解らない。やっぱり片岡義男原作なんだけど、原作を読んだと思うけど、記憶と印象が薄い。「彼のオートバイ、彼女の島」をVHSビデオで見ようと、思って春日部市の当時マツヤデンキの2階のレンタルビデオ屋でレンタルを試みたのが、27年前の話になる。その後、すぐそのレンタルビデオ屋は潰れて、マツヤデンキも無くなってしまったけれど。今はハードオフになってる。もう27年も経つのか、とブルーレイタイトルを見るだけで、過去の青春時代を思い出す事ができるけれど。とにかく角川映画は多感なティーンエイジの頃見るモノは見たし、見損ねたモノは機会があれば、購入していこうと思う。


2020/12/27

メディアを積み上げる001

 「めぞん一刻」と「藍より青し」と「らぶひな」、女性が描くハーレムラブコメと男性が描くハーレムラブコメの違いを楽しむ。


いろいろな話していると、マンガの話になる。マンガの話で、「藍より青し」ってまぁコロナの緊急事態宣言下で、しょうがないから、Amazonで全巻揃えで中古本を購入して、一通り読んだ、アニメも配信で二期まで全話見た、みたいな話になる。私は「藍より青し」のアニメとかは多分2001年か2002年頃知っていた。大日本印刷久喜工場と言う刑務所に2~3年ほど拘束されてしまっている内に、すっかりテレビでテレビアニメをVHSビデオで録画して追いかける、と言う習慣も壊れてしまったので、今年、dアニメストアで偶然、「藍より青し」の配信があるのを知って、アニメを見る前に原作を通して読んでみようとAmazonで捨て値で全巻揃えを購入して緊急事態宣言の中で読んだのだった。すぐに届いて、一巻を読む。面白い。お互いもう成人近くになって顔が解らない許嫁が、実家を捨てて、つむぎを着てやってくる。かろうじて住所と幼い頃の写真だけが頼りの十数年ぶりの再開。そして、同居が始まるかどうか、と言う物語のオープニングは、新鮮で面白かった。一巻を読んで、17巻までのめくるめく面白いかもと言う期待にふくらみながら、2巻・3巻と読み進めていくと、だんだん1巻を読み終えたときの、期待と想像が裏切られていくのが解る。17巻まで読んで、「らぶひな」とかそういうのと同ジャンル、と思った。そこで「めぞん一刻という傑作マンガがありまして」という話になる。「めぞん一刻」を連載の途中から読み始めたのは中学2年生の時、ビッグコミックスピリッツというのは、当時いけてるマンガ雑誌だった。あの頃のビッグコミックスピリッツは、他にも色々面白いマンガが結構連載されていて、少年ジャンプやサンデーは卒業して、隔週・毎週買うのはスピリッツだけになって高校生になり、美術部で活動が終わると、庄和高校から農道と国道16号を横切って、藤の牛島の牛島書店に立ち寄って月曜日に買う、と言うのが青春の思い出だった。特に、お互いのすれ違いで響子さんが金沢へ一人旅に出て五代が追いかける、と言うあの数話の「次ぎはどうなるんだ」というハラハラ感は青春時代の思い出である。響子さんが三鷹のマンションで、事故で押し倒されているのを、九条明日菜と五代がバッタリ目撃して、ってそこから誤解とすれ違いが始まって響子さんが金沢へ一人旅に出るのを五代が追いかけると言うエピソードとか、今でも思い出せる。で、結論で言うと、女心の微妙な心理描写は、男にはかけないよね。文月晃も赤松健も男だし、ほとんど性的表現で匂わしているから、高橋留美子の天才性には敵わないと思う、と言う結論に達した。私の記憶で言うと、「めぞん一刻」がその後の、「やたら男性主人公が女性と一杯出会う、登場する、縁がありすぎて困る」というマンガの物語の構図を規定したように、52歳で過去を振り返ると思う。アフター「めぞん一刻」・「うる星やつら」で、様々なコミック・ライトノベル・アニメ作品と2001年頃から日本の東京から爆裂して日本全国にまき散らされた訳だけど、「藍より青し」も「らぶひな」も、そのカテゴリーの範囲だった、と言う事だ。私が認識しているのは、「俺の妹がこんなに可愛いわけが無い」も「エロマンガ先生」も「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」も「彼女お借りします」も、結局、女性の天才の高橋留美子が規定した「めぞん一刻」には敵わない、と私はそう思う。でも、今の高校生は「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」が俺の青春だった、あれほどのラノベ・アニメは無い、と30年後に言うのかもしれない。「彼女お借りします」は、Amazonレビューとかで見ると、「男性主人公がクソ野郎」とか私なんかは「高校生の派遣リフレのエッセンスが含まれていて、病的な感じ」と、一期を見通して思う事だ。結果は主人公とヒロインの結婚だろうけど、まぁロクなアニメじゃない。ヒロインがやたら魅力的だけど。本当に東京のメディアには自浄能力は無いと思う。

メディアを積み上げる

 はじめに


去年から、私は岩波書店の「図書」という小冊子を岩波書店に購読料を払って、月に一回ポストに投函される岩波書店の発行する書籍の情報や、色々な学識者のテキストを読んでいたりする。去年と、今年の目次の違いは何か、と言うと片岡義男のコラムの新連載が始まったことだ。「CDを積み上げる」というタイトルのコラムで、片岡義男が購入したコンパクトディスクの情報や感想、ウィットを紹介するモノだ。長年、片岡義男のテキストを今でも楽しみにしている私には注意して読むべき活字である。そんなテキストの存在が頭の中にあって、先日、ふと閃いたのが、「blueiris.jpでレコードを積み上げる、なんて記事を書いたら片岡義男に対する返礼になるだろうか」と閃いた。「レコード」で最初に発想した。でも、Amazonでスイスから安くプライオリテイメールで届くCompactDiskが届いたりすると、「やはりディスクにするか」、「ディスクを積み上げる、で行こう」と今日、仕事が終わるまでそう考えて居た。いつもの神社の出口のヘリに座って一服して、先日から頭の中に残っている記憶で、「スーパーリアル麻雀ラブ2~7(ニーナ)」をPlayしてもいいよなと思ったし、一昨日、110円で売っていそうな、東京の出版社から見放されたような、セールスの思わしくなかったライトノベルをブックオフ庄和店で物色して購入した際、中のハードオフでNintendo Switchのターコイズの中古が25000円で販売されているのを見て、値段を見て考えた。もうちょっと2万円を切るようなら買ってもいいな、と素直に思った。今日、タバコを吸いながらスマートフォンでNintendo Switchを検索すると、定価は21000円で、中古になるとハードオフでは4000円もプレミアムがつくと言う商品である事を知った。コロナ騒ぎで商品不足で転売ヤーが暗躍した商品である事も知った。でも、Amazonでも2000円のプレミアがつくけれど、ヨドバシカメラでは、定価販売をするようになっていた。わざわざ中古を新品より高い値段で購入するバカは転売目的以外は居ないだろうから、私も新品をヨドバシで購入しようと思った。スマートフォンでは、ナムコットコレクションという情報も出て来た。昔、中学生・高校生の頃はまりにはまった、ファミコンゲームがまたやれる、と解ると、すごく嬉しい気持ちになった。家に帰って、Nintendo Switchのサイトで販売されているゲームソフトウェアのカタログを見ると、くにおくんシリーズで、時代劇だよ全員集合がプレイできると知って、気持ちは購入に傾いた。くにおくんシリーズは初代から始まって、多数のバリエーションのファミコンカセットが販売されていた。時代劇は、中島家がまだ幸せだった頃、死んだ弟や、幼稚園児の甥っ子と一緒に日立のテレビモニターにファミコンを繋げて、夢中になってプレイしていた、くにおくんシリーズの内の一つのゲームソフトウェアだったからだ。35年ぶりに、あの、ただ、家のぼっちの高校生が夢中になっていた、あの頃の感覚を再現できるなら、2万数千円など、安いモノだ、と思う様になっている。ここで本題に戻るが、ゲームソフトウェアはディスクではない。昔CDROMやDVDROMで販売されているパッケージがすべての時代はあったようだが、今は配信か、媒体はメモリーカードになる。どちらもディスクではない。でも、その昔ティーンエイジだったころのコントローラーの記憶もできればテキストにしておきたい、と思えば、このコラムのタイトルも、やはり「メディアを積み上げる」がかなり正解になっていくような、そんな昔の記憶とともに、私のメディアコレクションを画像とともに紹介していこうか、と今日考えて日本語のテキストにしている。


2020/10/14

仮説の提唱 「コロナウイルスは人を見て感染作用するウイルスである」

 久しぶりの平日の投稿です。建設現場に復帰して、1ヶ月以上経ったけれども、縁あって一人現場で、職長扱いで仕事をしている。一人現場なので、代わり(代理)があんまり居ない。つまり1日ちょっと気軽に休むことが出来ない、と言う事だ。で、建設現場はもう古来からの伝統で週六日勤務の仕事で、埼玉県春日部市から埼玉県戸田市の荒川のほとりですがすがしい青空の下で、これでもかと言わんばかりに汗かいて頭使って体使って働いて、日給は手取り8000円だ。朝4時に起きて、6時前の電車に乗って大宮で埼京線に乗り換えて、通っている。朝4時起きの夜10時に寝る生活を週七日続けている。日曜は、自然と4時とか3時半に目が覚めてしまう。平日はパソコンに向かう時間など、30分もゆっくり取れればいいほうで、明日の為に風呂に入ったら、すぐ布団に入る生活だ。(^_^;通勤スタイルは、最近やたら寒いので、古着で500円で買ったネイビーのダッフルコートを着て、マスクして、イヤホンでラジオ聴いたりMP3プレーヤーでひたすら音楽を聴きながら、スマホで家計簿付けたり読書したりして、通っている。ほぼ埼玉の東京都民は視界に入れないとか、記憶に留めない様に、スマホの画面見たり、本を読んでいたりする。帰りの電車で、埼京線と大宮駅界隈を見て、東武野田線に乗っていると、ふと閃くことがある。世間はコロナフィーバーだけど、ラジオで断片的にコロナ情報を聞いていると、「埼玉県の特養老人ホームでクラスター」とか「大宮の南銀座通りでクラスター」とか「埼玉の高校でクラスター」とかって、埼玉オンリーで耳に入れている。そう言う情報で、仮説が立ったりする。科学的根拠は無い。直感・直観でそう思う事がある。それは


「コロナウイルスっていうのは、人を見て感染するんじゃね?言い換えると、生きている意味を持ってないけど死にたくない老人が集まる老人ホームで感染力があがる、とか、西洋人のライフスタイルに感化されて、閉ざされた空間でオンナ相手に酒を飲むライフスタイルを延々と繰り返してしまう奴らに感染力が増す、とか、まだ、自分の中に抗体とか抵抗力が無いことに自覚がない高校生がたくさん集まると感染力があがるんじゃないの?」


と、言う事だ。詳しく解説すると、私の直感・直観で言うと、日本人は、古来の食生活や、生活スタイルを継承している、古い日本人の生活特性を維持している人は、コロナウイルスと言う自然由来のウイルスに、日本人で抵抗性があるのじゃないか、と言う事だ。今の老人は、ミンナ団塊の世代以上で、食生活が、昔の日本人の一汁一菜とか、肉より魚や野菜や穀物、と言う人ではなく、洋食大好き、古い日本人なんかダメ、アメリカ食大好き、とかで老年を迎えた老人とか、スナック・キャバクラに頻繁に出入りすることが止められない連中とか、その子供の今の高校生なんかは、コロナとか、外来ウイルスに対する抵抗性が弱いのではないか、と思うんだよな。「科学的根拠やデータはないだろ」とか言われそうだが、じゃぁ私は「今の生命科学で、人間の持つウイルス抵抗性を全て解明していますか?」と言い返せるだろうと思う。人間のみならず、地球上の生命の全てはまだ全然解明されていない様に思う。ハッブル望遠鏡で45億港年先の恒星を見たとしても、宇宙全体を語りきれないと言えるのと同じだと思う。


だいたい、特養老人ホームでクラスターとラジオで聞いたのが耳に残っていて、今考えると、「コロナフィーバーから、半年も経って、どこもウイルス対策してて、ミンナマスクしているだろうにクラスターが出るって、マスクを通すとか密とか関係なく感染するんじゃないの?」って思う。そこで、だから、コロナウイルスは「人を選ぶ」ウイルスなんじゃないかなぁと言う仮説を立てることが出来るんだよな。東京の連中なんかは、「学者が言ってない、却下、生命より金と自民党だよ」と言い、オールドメディアの映像や新聞記事作っている連中なんかは、コンクリートで密閉された空間でテレビ番組などを脳みそは世紀末のお先真っ暗な東京視点のニュース情報を全国に垂れ流している。私は、春日部市から戸田市に通いながら、世間を見ると、私の仮説はそうだ、って言うだけだ。


今日、駅の入り口に立憲民主党が二人立っていた。


「あなたは、いのちと自民党+金、どっちを選びますか?」


と、いのちが大事なのか、今後票欲しさに、金ばらまき政策を続けそうな自民党、今度の選挙では、日本人で生命より、自民党の過半数と金が欲しい人は自民党へ投票で、自民党とは反対の政策取ってくれそうな野党連合のどれかにいれるか、どっちですか?


私は、世間から外れて、しばらく世の中眺めています。もちろん今度の選挙は野党連合に入れます。


2020/12/23

こう、Coopと言う名称の組織の共済(保険)って二種類あるんだけど、収入とか落ち着いたらスイッチします。

 コープみらい他の共済、右が全労済(労働者とつく生活協同組合)


今日も朝から、オタついたビビリの5ちゃんねらから恐喝メールが来て、やれやれ、と思って、温泉入って帰ってくるとき、家の前に丁度タイミング良く、コープデリのトラック様がこれ見よがしに通っていったので、やれやれまたかと思うので、また言葉にしなきゃ、と言う事だ。


上記画像の内、現在入っているのが、コープと呼ばれる内の生活協同組合の共済のパンフレット、右が全国「労働者」生活協同組合=全労済と呼ばれるコープの共済。どちらも既往症のある人でも入れる共済(保険)で左のコープはキライになったので、右の全労済の生命共済に移る予定だ。左の共済の為にまだコープ未来の組合員証持って、まだ月の共済費1050円払って居るけど、全労済にスイッチするから。


今日、俺の目の前を通ったコープデリのドライバーは、組織に相談して、野田市尾崎の野田流通センターの内のシーエックスカーゴ株式会社の中の業務3課の定形外の米を運ぶ仕事とオリコン投入を一年間やってみてくれや。そうしたらちょっと認めてやるよ。


あと、「ウチは、こんなに働きやすいんですよ。また今度は船形に戻って働いて下さいよ」とかってメッセージなのかもしれないけど、こういう大日本印刷なら、「世界一の印刷会社」とか、丸和運輸機関だったら、「Amazonと組んだんで、世界一の物流会社」とか、コープみらいとかのコープデリ事業連合会なら、「私たちはNHKと同じ国の公の役人なんです」とか、そう言う企業イメージで自分を会社に帰属させている人間で構成された企業組織なんかに、もう行かないから。


で、いいよ。東京の神田鍛冶町の新成梱包の柏営業所通じて、「またやってくれないか」って連絡くれて戻っても。


ただし、毎日警察呼ぶような事件起こして、留置場に一泊したら、また現場に戻って、柏労働基準監督署に毎日内部の事情を報告しつつ、週刊文春にも毎日まいにちリークしながら、毎日警察沙汰になるような事件を起こしながらセンターでマウント取りながら、働いて上げてもいいよ。


それでいいなら、戻ってやるよ。


「それも勘弁して下さい」というなら、これだけ、高確率で俺の目の前にトラックだの、行きつけの春日部のコンビニ三軒とかにタイミング良く現れすぎるなら、その逆も出来るだろ?


遠慮しろよ、コープデリ。あ、俺はもう創価学会=大日本印刷的=統合失調化攻撃からは回復したからね。統合失調じゃ無いよ。ただ精神医療から、私が回復した認証をもらえないだけで。


「触らぬ神に祟りなし」だからね。


神ではなく、神の使いの

中島英樹(Blueiris)


あと、統合失調症化攻撃ってのは実際あります。私だけでは無かった。


あと、統合失調症化攻撃ってのは実際あって、裁判でキチンと証明されて公式な記録として残っている。


上記の「黒い手帳」

https://www.amazon.co.jpdp/4062156377/

を5ちゃんねらのミンナは読んで欲しい。

あるいは


あと、統合失調症化攻撃ってのは実際あって、裁判でキチンと証明されて公式な記録として残っている。


上記の「黒い手帳」

https://www.amazon.co.jpdp/4062156377/

を5ちゃんねらのミンナは読んで欲しい。

あるいは


あと、これ。創価学会の御用達だった、「悪い人」も自分の中の良心に気が付いて、或いは改心しての贖罪の書


上記の本を読んで、「ああ、そういえば、俺は統合失調的だったけど、統合失調症ではなかった。、なるほど統合失調症化攻撃だったのか」と自分がやっと正気に戻ったんだよな。


2002年の敵というのは、創価学会と連携した大日本印刷ということだったんだ、という事で、2019年にブチ切れたんだ。2020年も終わりの今ならありありと2002年の統合失調症化攻撃の記憶を書き記す事ができる。


でも、今はやめておく。自分が事業家として自立性を高めたら、書き記していく。2021年春以降の話にするよ。


ネット上の月刊文春になれるわ。


お楽しみ。


2020/12/31


あと、春日部の俺の行きつけのコンビニ(ファミマ・ローソン)の人たちとか、俺の行く先々の何も聞かされていない、無関係っぽい人で、俺がそこを訪れた後、名前も所属も明らかにしないけど、


「あいつとは口を利かないで下さい」とか「あいつは実はこういう人なんです」とか、私の悪い風評流す人間(男女・老若問わず)が訪ねてきたら、大抵私が通り過ぎてきた企業の人間なんで、「オタク、どこの会社の名前はなんて言うの?」と聞いて下さい。そして記憶しておいて下さい。


一つ、エピソードがあるけど、母親が死んだ年、2018年だったか、荒川区熊野前の荒川年金事務所にお手伝いで入った時、椅子に座った瞬間電話が鳴り、「大日本印刷からです」って電話掛かってきたよ。年金事務所の人は知ってて、「ああ、大日本印刷だろ、ほっておけよ」みたいな話してたんで、ああいう国単位の組織の人には、「世界一の印刷会社」というのは通用しなかったようだ。今も、国単位の建設現場で働いて居るから、ちょっと安心している。


そういうことなんで。


最後に「単に大企業のコマの労働単位が、独立創業の起業家の頭の中身なんか理解できるわけないんだから、自分の生き方を妨害するのはやめろ」と世間に訴えたい。


さて創作するからな。邪魔すんなよな。


2020/12/31


あとさ、最後に老婆心でコープデリに言うけど、もう組合つーのやめて、株式会社にして上場すれば、事業資金が潤沢に入ってくるだろ。金回りが良くなれば、パートだのの労働意欲も高まるだろ。もうさ、コープデリ使っている人なんて「ああ、Amazonのプライム会員みたいなものよ」くらいにしか思ってないと思うのね。だったら、Amazonみたいに株式会社にすれば?最後に助言だ。何度も言うけど、あり得ない確率で、私の目の前に現れないで下さい。丸和運輸機関とかにも言う。桃太郎便のトラックね。


バイバイ、大企業様。

Googleの開発した量子コンピューターが話題ですが。

 これ今見てるけど、去年、量子コンピュータの解説書見てて、自分が直感で思う事は、「量子コンピューターも人間を超える事は無い。何故かと言うと量子コンピューターにデータを入力して、計算された出力結果を受け取るのもやっぱり人間だから。人間以上になれないし、まぁ人知を超えている様に見える人には、『神の領域に近づいた』と思うのかもしれませんが、私は人間以上にはなれませんよ」と思う。量子コンピューティングの中のチップの中で「神のサイコロ」が振られているかもしれないけど、人間がその量子チップに近づいた時点で、人間に左右されるから、結局人間次第になる事でしょう。「地球へ(テラへ)」のラストシーンに出てくる様なコンピューターぽくなるかもしれないけど、それを越える、根拠は無いけど量子コンピューティングを越える自身が私にはある。実際、量子コンピューティングの時代になれば解る。つきあってみれば人間次第とミンナが解る時代が来る。早く1チップ化されないかな。デスクトップPCで使いたいや。2020/12/09

Tale of Water Color (物語を込めた水溶性絵の具による絵画)

 倉庫で働いて居て、ふっと、「あ、水海道4部作どうしようか」と思ったら、上記の様に平光報子と箕輪和子が浮かんだので絵にした。背景まで本当は描き込みたかったんだけど、時間が許されないので、と言うか、5月はドンドン絵を描く時間を増やすけれども、今日はとりあえずここまでだ。水海道4部作は「水海道、紙ヒコーキ飛んだ」から始まって、「水海道、そして卒業、きっと言える」まではいままで書いたプロットが生きるが、次の「富士見台、池袋、トーキョーの合唱」と「Evergreen、常緑の花嫁」で完結というかプロット上では、そしてアタマの中では完結していたのだけれど、卒業して、東京の富士見台に二人共同のアパートを借りて一年学校に通った時点で、コロナウイルスで学校に行けず、と言う時代の設定にしないとおかしなフィクションになってしまうなぁ、と絵を描きながら思った事だ。本当は二人で4年間東京・神奈川・埼玉辺りの東京圏のオカシサや狂気を観察してもらって、水海道や柏の葉に帰ってもらう筋だったのだけれど、東京は終了してしまったので、筋が大幅に変えないとと思っている。例えば、天才の平光報子は1年で専門学校を中退して個人事業主としてフリーランスのアーティストにいきなりなってしまうとか箕輪和子は星野女子大、ああ、星野女子大学は卒業まで9割の講義がオンラインで、夏期スクーリングと夏期実習で卒業出来る様にして、二人で水海道や守谷や関東鉄道やつくばエクスプレス沿線で活躍してもらうような、そんな筋だてにしないと時代に合わなくなってしまった。「富士見台、池袋、トーキョーの合唱」で私が長年視界に入れてきた東京の狂気や残酷さなんかを告発するような内容にしたかったのだけれど、コロナウイルスが東京を屠殺し、北斗の拳の世界にしてしまったから、なんともな、とシミジミ机に向かいながら思う。水海道4部作は完結させても、数年公開しないと思う。色々考えて、公開を遅らせるつもりだ。水海道ファンの方は、何年も忘却しながら、自分の人生生きてってくださいね。それじゃ、また明日から仕事なんで今日はこの辺で。2020/05/03


今日(2020/04/17)は気ぜわしく、二枚描いてしまうスケジュールにした。一週間が七日間で、その内5日間は倉庫内作業と生活に忙殺されてしまうので、休日二日で、結構こなさないといけない事が多く、例えば、三時間をゆっくり、上記の風景に対してじっくり割り当てる事が出来ないというか、考え方や心がけ次第なのだけれど、あれもやらなきゃこれもやらなきゃと脳みその中は時間とスケジュールに追われている。古利根川のほとりの、東武野田線の単線の鉄橋を描いている。この光景も多分10年から15年後には消失してしまう。東武鉄道が東武野田線を東武アーバンパークラインとして、高架複線化し、春日部駅も10年かけて高架駅になり、春日部~藤の牛島間もこれは東武アーバンパークライン最大の難工事になるだろうけど、高架複線化される運命にある。私はその時にはこの地に居ない予定である。20年後に振り返って、「51年、こういう光景だったよね」と思い出したくて、透明水彩と鉛筆で紙にイメージ記憶と時系列の記憶を固着化したようなものである。この風景からだって、春日部女子高の女子高生の女の子の物語をを思い浮かぶ事は可能だったけれど、「赤いハイヒール」で春日部を舞台にした小説作品と言うのは途絶するつもりだ。もっと広大無辺なステージが関東の地にはいくつもあるからである。電車に乗っても、バイクで行っても、そこには無限の可能性を私は見いだす事が出来る。春日部は私が51年育った地、と言う事だ。絵を描いている場所は、公園の縁でもあるので、子供達が無邪気に遊んでいた。好奇心で覗きにくるボーイズが二組あった。ボーイズには自分が芸術家として活動し、こういう絵を描くところを見せて上げた。子供の頃の視覚記憶というのは生涯焼き付くモノである。それを忘れた老齢者を、大人と私は言いたくない。老人とか廃人とか、つまんないオトナ、みたいな言い方にしたい。子供の直感で私の芸術活動を覗きに来る少年少女には、だから遠慮無く、超高絶ハイレベルの芸術活動と人間存在を見せて上げる事にしようと思っている。縁が無い人間は、まったく絵を描くための鉛筆一本すら持つことをしないで、棺桶に入るものだけれど、それでは日本の将来が危ういので、子供には惜しげも無く、鉛筆を動かして絵を描いている姿を見せて、脳みそに焼き付けてもらおう、と、上記の絵を描きながら思った事だった。2020/04/17


春日部近辺に、関東をぐるっと見渡せる里山がある。初めてそこに登って、「ああ、筑波山が見える。中学生の時、校舎の3階とかの廊下の窓から見ていたなぁ」と思った。間宮林蔵が立身出世を祈って一晩過ごした山で、二宮尊徳が、その光景の中で、桜新町を開拓した、そういう山である。小学生だか中学生の時学校の遠足で登り、何年か前に、旧友に連れられて、途中まで車で行って、サンダル履きだったから登山はやめて、と言うのが記憶にある。茨城県筑西市のグランテラス筑西の駐車場から見ていたりもする。そのティーンエイジの時、あの地平線の向こうには何があるのだろう、と思っていた。庄和高校で、美術部の部室の窓から、冬の寒空の下の光景を見て、「あの北の青い空の下には何があるのだろう」と思いながら油絵を描いていたりした。透明水彩で風景を一枚完成させたのは、生涯初めてである。学校の授業は除く。高校生の時、美術部で部の画用板に画用紙だか水彩紙を水張りして、丁寧に庄和高校の近くの用水路の水門を丁寧に描いて、途中まで描いて、そのままだ。多分自宅の押し入れにしまってあるかもしれない。一枚をざっと描いて、透明水彩の一発勝負はなかなか楽しいし、筆が私にミューズを教えてくれる。まだ描き急いでいる。抄訳版のような一枚だ。今日は休日だけれど、一日でやることが多くて、時間をゆっくり掛けると言う事が出来なかったし、鉛筆を走らせていても、本当に瞬間のイメージをさっと切り取る感じになるので、丁寧とはかけ離れている。自分の目で見たイメージ記憶の記録でもある。もうちょっと落ち着いて取り組める様に、自分を持っていきたいと思います。2020/04/17


Water Colorを大体の日本語に直すと、透明水彩やガッシュ、ポスターカラーなんかが、いままでの絵描きの常識なんだけれど、昔からアクリル絵の具もありますし、まだ使いたいけど、そこまで感性が取り戻せていないので棚にしまってある、ホルベインのホルベインDUOオイルカラーという水で描画可能な水溶性油絵の具を用意していますが、手を出すのは今は時期じゃないと思っています。10代の高校生の時、一般的油絵の具やアクリル絵の具で絵を描いてました。20代は純然と昔からの油絵の具一択で描いてました。40代で透明水彩、50代で透明水彩や水彩色鉛筆で、と画材の変化があります。透明水彩は一発芸ですから、良い挑戦になります。油絵の具は何回でもこねくり回しても出来ればオッケーだけど、透明水彩は一塗りが一発で成功しないとい意味ないです。でも水彩は紙だから、失敗しても古新聞に混ぜればいいのでエコロジーです。油絵の具はキャンバスなので、失敗するとゴミとして処分するのが難儀なんです。と言う事で透明水彩と水彩色鉛筆と水彩紙という選択になります。このサイトで公開するのは、小説にまつわる物語の要所を表現したイラストの様な水彩画、と言う事になります。ええ、緊急事態宣言で、電車に乗ることも白い目で見られる時期が5月6日まで続くので、春日部市と八丁堀と丸の内が舞台の「赤いハイヒール」の春日部舞台分だけでも、透明水彩と水彩色鉛筆で書き残しておこう、と言う事になります。ここで、先行して発表していくことですね。小説は未だに書く暇がありません。すごく書きたいけど、時間が許しませんので。紙に一枚、物語を込めて水彩画を仕上げる時間と気力はある様に思います。休日に時間が許せば取り組んでいきたいと思っています。2020/04/07

☆創作とはあまり関係ない雑談スレ191☆

 https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bun/1536207015/ 97: 名無し物書き@推敲中?  2018/09/12(水) 18:41:12.33  >>93 今週も土曜日になると春日部兄貴は出てくるかな? 平日は仕事があ...